最後に笑うのは | ナノ
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 「...っ、」

 ふと、ざわつく音と腕への違和感で松高は意識を取り戻した。そして重たい瞼を開ければ、そこには救急隊員の姿があり、松高はちょうど腕への応急処置を受けている最中だった。

 「意識が戻ったかい、君が通報してくれた松高君で合ってるかな?」

 「...は、はい。そうっす...ぁ、先輩...ッ!!穂波先輩は!?」

 すぐに思い出されるのは穂波のこと。救急隊員が来たということは警察が...

 「君の先輩は...―――― そこにいるよ。今担架で救急車に運ぶところさ。君もそれに乗って病院に行かなければ。今できたのは応急処置だからね。歩けそうかな?」

 「...っえ!?穂波先輩はなんで担架に...」

 「彼は私たちがここに来た時に、脇腹を刺されてしまっていて出血していたんだ。歩くこともままならない。後の詳しい話は治療が終わってから警察の人に訊いてくれ。さぁ、急ぐよ」そう言い隊員の男は松高の肩を支えてともに立ち上がるとそのまま歩き始めた。

 「穂波先輩...ッ、」

 そうして視界に写ったのは、脇腹を血で赤く染める穂波の姿だった。苦悶の表情を浮かべているのをみて松高は焦りを感じた。

 ― どうして...どうして穂波先輩が刺されているんだ。あんなに、血を流して...

 松高が穂波に対して心配をしていたのは、あのように怪我をしているから、というだけの理由ではなかった。

 恐らく松高が来る前に殺されたであろう人物の“死体”と凶器を持っていたであろう犯人を見た警察によって、穂波が取り押さえられてしまうのでは、ということであった。

 「あの、部屋にいたのは俺と穂波先輩だけですか?」

 部屋を出る間際、松高は多分この現場では一番偉いのであろう、見た目の刑事の男に恐る恐るそう訊いた。ただただ、穂波の身が心配だった。

 「あぁ、意識が戻ってよかった。来るのが遅くなってしまって本当に申し訳ない。私たちが着いた時にはすでに犯人は逃げてしまっていたんだ。ここにいたのは君と、脇腹を刺された少年のみだ」

 「...ぁ、そう...だったんですか、」

 厳つい顔が、申し訳なさそうに歪む。そんな刑事を見て松高は安堵の気持ちと同時に疑問を抱かざる負えなくなってしまった。

 “死体”はどこにいったのか

 今の刑事の話を聞く限り、死体は未だ見つけてはいないようであった。

 松高が通報してからここに警察が来るまでの僅かな時間で、“死体”はなくなっていた。そうして、刑事の言う“犯人”であるはずの穂波は脇腹から血を流し、“被害者”に変わっている。

 ― 一体、どういうことなんだ。

 その答えは全くわからない。疑問ばかりが次々に浮かぶ。

 「詳しいことは後日改めて...。事情聴取を含めて病院へ伺いたいと思います」

 それだけ言うと刑事は再び顔をしかめさせ、部屋の奥へと歩いて行った。

 そんな刑事の背中を、松高はただただ見送ることしかできなかった。


 後日、病院に入院していた松高と穂波の元にあの時の刑事がやってきた。...――― だがしかし、

 「いや、でも実際困ったね。一番、今回の事件について深く関わっている穂波君があの状態だとは...」

 退院の準備をするために、まとめていた荷物に囲まれた病室の中。刑事は残念そうな表情で松高の目の前にいた。

 「まぁ、しょうがない。九死に一生の出来事だったからな...かわいそうに、」

 椅子にどっかりと座ったその姿は恰幅があり、松高の前に会ってきた穂波のことを話す口調は悔しげだった。

 ― 穂波先輩...

 事件があった日に手術を受け、翌日目を覚ました穂波。同じく入院していた松高はすぐに会いに行った。だが、そこにいたのは酷く怯え精神が錯乱した状態の穂波の姿だった。何かを話せる状況ではなく、それに加え医師の話を聞く限り軽い記憶の障害もみられた。

 事件当時の記憶が曖昧で、よほどショックだったらしく、穂波は姿のわからぬ恐怖に身を震わせるばかりであった。

 そんな穂波に刑事は同情し、松高はますます疑問を膨らませた。
“あの時”の穂波はどこにいったのか。あの時の、狂気を宿らせた瞳をもつ穂波の行方。今の穂波の瞳には狂気など微塵も感じなかった。

 「それじゃあ、事件のことについてわかること...覚えていることを教えてもらってもいいかな、」

 「あ...はい。あの時、俺は...――― 」

 そうして始まる事情聴取。何を話してよいか、何を言ってはいけないか。一つ一つ言葉を選んで発言しなければならない。

 「穂波先輩に会うためにあのマンションに行きました。それから、チャイムを鳴らしても返答がなく、カギも空いていたので中に入って行きました。そしたら、急に刃物を持った男が現れて...っ。腕を刺されて怖くなって俺は別の部屋の中に逃げました」

 全ては穂波を守るため。穂波のことがわからなくなってしまった今、松高の出来ることは一つしかなかった。
 事件の犯人は知っている。それは大切な...大切な先輩だ。

 ― 警察になんて渡さない

 「その男は、知らない男でした」

 「...そうか。金品は特に盗られていなかったが...もしかしたら強盗に入られていたのかもしれない。他に何かわかることはあるかな?辛いことだ、思い出すのが難しかったら穂波君同様、また後日伺うが...」

 「いえ、大丈夫です。俺は早く犯人を捕まえてもらいたいです。こんな酷いことをした犯人を...っ。男は身長170センチくらいで体は中肉中背でした。顔は...マスクをしていて、深く帽子を被っていたのでよくわかりませんでした。...あとは、部屋に逃げて意識を失ってしまっていたので...」

 「わかった。...辛いことを思い出してくれてありがとう。また何か気になることを思い出せばいつでも言ってくれ」

 「...はい。」

 口から出たのは、架空の人物。穂波につながることは一つも言わなかった。

 「そう言えば、一つ不可解なことがあってね...ベッドの上に血溜まりがあったんだ。致死量と思ってもいい量。それは君の血液とも、穂波君の血液とも違った。君たち2人の他に、もう1人いたはずなんだ。その血の持ち主が。多分、それはあの部屋の借主の日向君の血液だという可能性が高い。彼の行方は今、わからなくなってしまっているんだ」

 「...っ、」

 「何とも痛ましい事件だ。若い命を摘むなんて。そのことについても、もしわかったことがあればいつでも言ってくれると助かる」

 松高はどきりとした。あの時、穂波が持っていた包丁についていた血痕。あれは日向のものだったのか、と思うと背筋を嫌な汗が流れた。

 日向のあの日記を読んだ後ということもあり、松高の脳内には考えたくもない筋書きが思い浮かんだ。




 「松高、お前どこ言ってたんだよ」

 「あっ、穂波先輩!ごめんなさい、ちょっと先生に呼ばれてて...」

 放課後。HRが終わり、職員室へ行ってから再び教室に戻ればそこには見慣れた存在が仏頂面で立っていた。
 廊下の窓際に立つ穂波の黒髪は夕日で赤く染まっている。

 「帰るぞ」

 「は、はい!」

 いつもの言葉。いつもの流れ。笑顔で走り寄ってくる松高を見て、穂波は口角をあげた。

 あの事件から3ヶ月。穂波は病院で軽い記憶障害だと未だに診断されてはいたが、2人は再び学校生活に馴染み始めていた。
 二葉の存在も日向の存在もまるで初めからなかったかのように。

 あれから穂波は松高に執着するようになっていた。登下校はもちろんのこと、休日の日もずっと2人は一緒にいた。

 今の穂波は松高にとって、以前の大好きな先輩であって、先輩ではなかった。表面的には何も変わらない穂波。
 しかし、明らかに穂波は別人になってしまっているようだった。いつも通り笑い、優しく微笑みかけてくれたかと思えば、あることがきっかけで突然暴力的になることもあった。

それはそう、決まって松高が穂波から離れようとした時だ。
 その時の瞳は、あの日殺されかけた日に見た瞳と同じだった。その暗さにいつも松高は肝を冷やす。

 だが、そうは言っても穂波は松高にとって大切な人だ。
 そんな穂波に執着され、松高は素直に喜んでいた。―――― 先輩には俺が必要なんだ、と。

 長く付き合っていた彼女とは別れた。穂波に別れろと言われたから。

 異性とはもう話していない。穂波に話すなと言われたから。

 松高の自由な時間は全て穂波に捧げた。穂波に一緒にいろと言われたから。

 穂波の言うことは松高にとって絶対的なこと。反抗する気なんて微塵も生まれない。
 穂波の言う通りに動けば、いつも褒めてくれた。可愛がってくれた。

 ただただ純粋に嬉しかった。

 「松高、今日もちゃんと俺のいいつけは守れたか?」

 「はい!守ったっす!ほ...褒められたくて、」

 「そうか。偉いな、さすが俺の松高だ」

 ガシガシと雑に頭を撫でられ、松高ははにかんで笑む。まるで飼い主に褒められた犬のように。

 「なぁ、お前はずっと俺と一緒にいてくれるよな?ずっとずっと一緒。俺のことだけを想って俺のことだけを見続けるんだ」

 そういい、松高の目の前に佇む穂波の全身は夕日で真っ赤に染まっていた。まるで血にまみれているように。
 松高の瞳はその光景に心を奪われてしまう。

 「じゃないと、お前のことも...―――― 殺してやる」

 最後にそう告げて、狐のように目を細め笑む穂波は、あの日の殺人鬼の影を目元に落としていた。





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