最後に笑うのは | ナノ
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 夏休みも1週間目を過ぎた時、過度なストレスによる食欲不振、体調不良で追い込まれていた俺はついに熱を出した。
 俺の熱に気がつくことなく母親は朝早くに仕事に行ってしまった。家の中で1人、吐き気と頭痛をこらえながら布団の中で蹲る。

 一度病院に行こうと思いはしたものの、熱で朦朧としている体はいうことを利かず、結局は朝から寝たきりの状態になってしまった。
 とりあえず、忙しそうにしていた母にメールで状況を伝える。するとすぐに電話がかかり、昼に帰るから一緒に病院に行こうと言われた。母の心配そうな言葉に短い返答をし、電話を切った。

 ― あぁ、そうだ。日向にも連絡しなきゃ...

 夏休みは毎日、日向の家に行っており、いつも通り今日も昼から日向の家に行って二葉の勉強を見ることになっていた。
 すぐさま、俺は枕元に置いてある携帯に再び手を伸ばす...が、

 「...っ、」

 激しい頭痛で一瞬めまいを起こし、手元がくるって携帯を床に落としてしまった。
 落ちた携帯は勢いよくスルスルと床を滑り、止まる。
 
しょうがなく重たい体を起して携帯を拾うためにベッドを下りた。しかし、床に足をつけ、立ち上がった瞬間ひどい立ちくらみと頭痛が再び俺を責めたて、力の入らなくなった体は床に倒れる。
 意識が曖昧なせいか倒れた時の痛みはなかった。

 目の前にある携帯電話。俺はカタカタと震える手を携帯へと伸ばし―――― 意識を飛ばした。

 次に目を覚ました時、俺の視界に写り込んだのは白い天井と涙ぐむ母親の姿だった。

 「あ...俺、」

 「よかった...家に帰ったら穂波、部屋の中で倒れてるから...母さんびっくりして...ごめんね、朝あんたの顔見てから仕事に行ってればよかった。そしたら、あんたの異変に気がつけたかもしれないのに、」

 「心配かけてごめん、母さんは悪くないから」

 消毒液の匂いが鼻を掠め、点滴のために腕に繋がる細い管が目に留まる。
 どうやらあの後俺は病院に運び込まれたらしく、声を震わせる母は疲れ切った顔をしていた。

 「あと、軽度だけど栄養失調の症状があったみたい。だから一応点滴はしてもらったけど...あの、穂波。最近、ご飯もまともに食べてなかったでしょ?それが原因だってことはわかってるんだけど、その...何か悩み事でも、」

 「そんなのないよ。ただの夏バテ。最近すごく暑かったから食欲がわかなかったんだ。母さんが心配するようなことは何もないよ」

 幾分か熱が下がったのか、スラスラと言葉を投げかける口。
 それでも母は納得のいかない顔をしていたが「何かあったらすぐに言いなさいよ」とだけ言い、顔をしかめさせたまま口を閉ざした。

 だけど、その言葉に俺は返事をすることはできなかった。

 「あっ、そう言えばずっと携帯が鳴ってたけど大丈夫かしら、」

 会計を済ませるために待合室の席で名前を呼ばれるのを待っていれば、隣に座っていた母はハッとした様子で鞄の中から俺の携帯を取り出し、渡してきた。
 そこで漸く俺は目的を思い出し、背筋をヒヤっとさせた。

 ― 日向に連絡をしていない、

 時計の針は17時を指していた。約束の時刻はとっくに過ぎてしまっている。

 携帯の中を見れば数十件にも及ぶメールと電話の履歴が残っており、それは全て日向からのものだった。

 「ごめん、ちょっと電話してくる」

 どんな要件なのかは分かっていたため、俺はメールの中を確認することなく外に出るとすぐに日向へ電話をかけた。

 「も、もしもし日向、俺だけど...」

 ワンコールで出たそれに、俺は唾を飲み込み言葉を紡ぐ。
 いつもならないような履歴の件数は異様な雰囲気を醸し出していた。そのせいか変に緊張してしまって落ち着かず、目を泳がせる。

 『すぐに俺の家に来い。20分以内にだ。いいな、』

 「え、あっ...日向、あの...――― 、切れた...」

 普段よりも少し低い声音。口調からしてもひどく日向が怒っているのが分かった。
 病院から日向の家まで多分、バスで15分くらい。バスを降りたら10分弱歩かなくてはいけない。
 どう考えても20分以内に行くなんて無理なことだ。

 「あら、穂波。電話は大丈夫だったの?」

 「っ、母さん、悪い。いくらかお金貸して!ちょっと友達のところに行ってくる、」

 「友達の家ってあんた、まだ熱があるのに何考えて...っ、」

 「いいから早く!急ぎなんだ、後でちゃんと連絡するから、」

 再び心配気に眉を寄せる母を急かす。いくらかお金を貰うと乱雑にスウェットのポケットの中へしまい、俺は走った。

 その瞬間、倒れる前にも感じた吐き気と頭痛が俺を襲う。朝よりは大分マシになったが、それでも走っている途中何度も意識が飛びそうになった。
 後ろで母の叫ぶ声が聞こえた気がしたが、それでも俺は振り向くことなく走り続けた。

 「はぁ、はぁ...っ、はっ、げほげほっ、」

 朦朧とする意識の中、バスに降りてからも終始走り続け、着いたのは日向のいるマンション。
 時間を確認するのさえも惜しく感じ、ひたすらに足を動かした。

 扉の前に立ち、チャイムを鳴らす。そうしてゆっくりと開かれる扉。

 「ぁ、日向、今日は――― ぅあ゛っ...!!」

 日向の姿が見えてすぐに今日、行けなかった理由を言おうとした。しかし、それより早く乱暴に手首を掴まれ中に引き入れられる。
 ギリ、と掴まれた手首には爪が食い込み、痛みが走る。加えて玄関に投げ捨てられたせいで腰を強く打ち、鈍い痛みも響く。

 「なぁ、俺は何分以内にここに来いっていった?」

 「う゛く...っ、に、20分...いない、」

 仰向けに倒れる俺の上に日向は跨り、体重を掛けてくる。
 明らかにいつもとは違う雰囲気に心臓は恐怖で凍りつく。二葉は帰ったのか、俺と日向以外の人の気配はなかった。

 「分かってるじゃん。でも穂波、ちゃんと分かってたってことは...わざとなのか。遅れてきたのは、」

 「...ご、ごめん。でも俺がいた場所からここまで25分くら...――― 」

 「 嘘つくな!! 」

 「...っ!!」

 突然怒鳴られ、肩がビクリと動く。こんな風に日向に怒鳴られるのは初めてでつい茫然としてしまう。
 怒りをぶつけられているのは俺なのに、どうしてもその実感がわかない。
 それに俺の言ったことは嘘なんかじゃない。本当のことだ。

 「時計見てみろよ。今は何時だ。まさか時計の見方も分からなくなったか?」

 そう言われるまま、首を横に向け居間に掛けてある時計を見て俺は驚いた。

 「そんな...っ、」

 長い針はもうすぐ6時を指そうとしいていた。

 ― 病院からここまで50分もかかったっていうのかよ。

 予定よりも2倍近くの時間がかかっている。

 「これはどういうことなんだ?本当は俺に呼ばれてもなお来ないつもりだったのかよ」

 「ちが...っ、俺ここまでずっと走って、」

 スッと立ち上がった日向は無表情で、何も発することなく居間の方へと歩いていってしまう。





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