短編・リクエスト小説 | ナノ

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 近所で一番大きな病院の201号室。そこが翼の入院している部屋番号だった。
 寝室で倒れていた翼を見た時は、正直ゾッとした。まるで死んでしまっているかのように意識のない翼に動揺が生まれ、思わずへたり込んでしまった。それから慌てて救急車を呼び、今に至る。

 翼の両親は仕事で出張しているために、戻ってくるには数日かかると言われた。
 医者には、栄養失調が原因だと言われた。数日間、飲まず食わずだったらしい。あと少し、見つけるのが遅かったら危なかったとも知らされた。

 「翼...ごめん、俺のせいだ...」

 ベッドの上で点滴をされ、眠る痩せた男。大きなクマが目立って見えた。
 冷たい手を温めるように握る。そうして何時間経っただろうか。

 気が付けば2つの瞳が自身を見つめていた。

 「つば、さ...」

 呆然とした顔。しかし駿が翼の名を呼んだ瞬間、ハッとした様に目を見開いた。

 「翼、俺が悪かった。お前の気持ちを無視して、追い詰めて...―――― 」

 「触るな!」

 「...ッ、」

 不意に払われた手。翼の声には拒絶の色が見えていた。突然のことで頭が回らず、戸惑ってしまう。ただ一つ、駿は直感ではあるがあることに気が付いた。

 「記憶が...戻ったのか、」

 目つきが、違った。雰囲気が、違った。口調が、違った。

 それはなつかしい、聞きなれたそして見慣れていたもの。
 そこには駿に告白した男の姿はなかった。

 『 ごめんね 』

 脳裏を過ったのはそんな言葉。いつの日にか聞いたその言葉が、最後のものとなってしまったのか。あんな最悪な別れ方をしてしまったというのか。

 「悪いけど出てってくれないか...」

 こちらを一切見ようとはしてくれない。翼は握られていた自身の手を擦りながら、冷めたい一言をなげてきた。
 駿に返す言葉がなかった。ただ、胸が痛かった。

 最後まで目を合わせようとはしない翼の姿を眼に刻み付ける。

 ― これが現実か、

 やはり、上手くいくはずなんてなかったのだ。自分があの時の“翼”を受け入れることが出来なかったように、今の“翼”も自分のことを受け入れることはできないのだ。
 どうして自分はあの時翼を受け入れなかったのか、と再び激しい後悔に見舞われる。
 短い期間でもいい。翼と共に楽しい日々を過ごしたかった。
 今更過ぎる考えの自分勝手さに嫌気がさす。それでも...――― あの時の最後の“翼”と過ごした日、激しい感情を忘れることなどできなかった。

 無言のまま、病室を後にする。立ち止まることなく、歩き続けた。気が付けば、あの思い出の公園にやってきていた。
 季節が変わり、紅葉が主張する景色。冷たい風が頬と流れる涙を撫でた。

 「好きになんて、ならなければよかった」

 そんなこと、無理だとわかっているのに、堪え切れずに出たのはそんな言葉だった。



 翼が退院した時。当たり前のように居たはずの駿の姿はどこにもなかった。
 学校もやめていた。住んでいたはずの家には知らない人間が住んでいた。

 言葉の通り、忽然と姿を消してしまっていた。

 拒絶してしまったのは、自分の方だった。再び伸ばされた手を拒んだのだ。
 あったのは、戸惑いと世間体を気にする心。だが、翼は覚えていた。
 記憶を失っていた時の、もう1人の翼の時間、すべてを。翼が何を考え、どう過ごし、どう傷ついていたのかを。

 そして、駿との間で起こった、あの日のことも。

 激しいほどの愛情と欲望...――― あれは本来の自分自身の姿だった。

 偏見の目も、何も気にしない、自分の本心に素直な姿。

 ― 俺だって、駿のことが好きだった

 それは変わることのない気持ち。ただ一つ違うのは、世間体を気にしてしまったという点だけ。
 男同士。同性愛そんなことが学校にバレたらどうする。親にバレたらどうする。そんな差別的な風潮を翼は恐れた。だから本心を隠して駿とは友人のままでいようと思っていた。
 ずっと隣で笑って、共に過ごして、互いに結婚してからも家族ぐるみで付き合って...――― そんな人生を送るんだ、と勝手に決めつけていた。

 ― それなのに

 駿を激しく求めた記憶、偏見の目など物ともしない深い愛情。
 今の翼にとって、空白の時間となってしまった、もう1人の翼が過ごした時間は、心を揺さぶるほどに大切な時間となっていた。初めて本心と向き合った。

 だが、もう遅い。気が付くのが遅すぎたのだ。

 駿を犯してしまったという事実に戸惑い、自身の中にある愛情、執着の強さに責め立てられ、あの日、あの時、駿の手を拒んでしまった。その結果駿は翼の目の前から姿を消した。

 その日から数年。

 翼の手には一通の手紙が握られていた。それはどれだけ探しても見つけることのできなかった人物...――― 駿からのものだった。書いてあったのはたったの一言。


 “ 結婚しました ”


 止まることのない涙が頬を流れ続けた。何年経ってもなお忘れることのできなかった愛情。

 「もう一回、好きって言いたかったな...」

 駿は別の人間のものになってしまったのだ。
 手紙に書かれていた送り主の住所。同封されていた幸せそうな1枚の写真。

 手紙に伝い落ちる涙の痕。

 長い時が経ってもなお、変われないままでいるのは、自分だけだった。


 end.


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