貰い物(feat.葱子さん) | ナノ

『はくだけきゃんでぃのこい』
 
 世界が意味を変える瞬間を、嫌というほど知ってきた。 
 まだ何程も生きていないうちから、俺は何度も死んどるんやないかとたまに思う。それは、とても疲れることのようにも、それほど大したことでもないようにも思えた。

 その日、俺の眼球はその意味を変えた。


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「ゆうちゃんはさ、なんでいっつもめがねかけてるの?」

 ジローの無邪気な問いかけに、俺は表情ひとつ変えずに言葉を返す。言い飽きるくらい繰り返されたその言葉。

「裸眼、見られたないねん」

 納得してくれる人間が現れたことはない。そらそうや、俺は語り落としとるんやから。
 誰かて、臭いものには蓋をする。わざわざ開けっ広げるようなアホな真似を、誰が好き好んでやるかっちゅうねん。

「ふぅん」

 特に、そう、
 この、無垢で無神経な、お子ちゃまには。

「ゆうちゃんのおめめ、とってもきれーなのにね」

 ──言うても、どうせなんにもわからんのやろうから。


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 好きって言われるんがすきやった。
 そういう言葉が、喉から手が出るほど欲しいと思った。
 そのくせ、それを貰えるんやったら、払える範囲の代償やったら躊躇もなんにもなくなれてまう自分を自覚すんのが怖かった。──いや、ちがう。ほんまに怖かったんは、そんな自分を誰かに見抜かれることやった。
 それでも一回知った蜜の味を忘れれるほど人間は賢ないから、俺はやっぱりそれを欲しがる。そのこと自体がいやに汚く思えた。ずるをしているような、わるいことをしとるっような。だれかを不幸せにしとるような、──今それに言葉をあてはめんねやったら、きっといわゆる「罪悪感」。

 せやけど、ほんまに誰かから好かれるやつは、だぁれもそないな、汚いことはしてへんかった。
 それがわかっとるから、俺はなおさら自分が嫌やってんけど。

 俺は、結局偽者にしかなられへんねんなぁ、と、思った。どうあがいても、なんでか俺はいっつも誰かをうらやんで、せやけどその誰かっちゅうのは、世間一般には別段恵まれとるわけでもないらしい。ないものねだり。むしろ俺の方が恵まれて見えるっちゅうのを、初めて聞いたときには驚いた。『せやったら交換してくれ』って、泣きそうな本音は隠し通したけど。
 好きって言われたいから、隠したけど。


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 例えばこいつは、俺がうらやむ人間の典型や。
 誰からも好かれて、誰とでも偽者やない。あぁあ、こういう人間って実在しとんねんなぁ。夢物語みたいなやつやと思う。
 そんなやつが、俺なんかのことをすきやと言う。

「……きれいなんかや、あらへんよ。そんなええもんちゃう」

 こういうやつは、みんなが守ってやるべきやと思う。誰もがうらやむっちゅうことは、誰もがこいつを食うてしまいたいと思うっちゅうことや。こいつみたいなやつのことは、条約でも制定してみんなで囲って保護したったらええと思う。
 俺がもしその保護団体の人間やったら、俺みたいな人間は真っ先に排除対象やけど。

「きれーだよ」
「……せやから、」
「おれ、ゆうちゃんのおめめ、すき」

 ──ああ。もう。
 ほら、さっさと排除しとかんかったから。
 俺は多少苛立って、やけになって、こっちをまっすぐに見てくるジローに視線を合わせたった。
 俺の前の席に座ったジローは、椅子ごとこっちを向いて俺の机に頬杖ついとる。その距離が俺にあんまり近いから、正直ずっと、嫌やった。

 眼鏡を外して、意図的にいやな笑顔をつくる。笑う。
 俺の裸眼に無邪気に目を輝かせたジローに、ひどい事実をくれてやりたかった。

「俺の目ぇ、濁っとるやん」
「? くろいよ?」
「ちゃう。白目の方」

 それは俺が、一回死んだ瞬間やったんかもしれん


「精液の白がな、こっぱりついて落ちへんの」


 ほら、意味わからんやろ。
 まんまるくなったジローの目玉は飴ちゃんみたいで、こんなにきれいな眼球を持つジローのことが、俺はやっぱり、喉から手が出るほどうらやましかった。


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 単純な話。
 顔射ならぬ、眼射をされた。まぁ、ほんまに単純な話やんな。うん、そのひと、俺の目ぇが好きやってんて。ほならまぁええかと俺は思った。そんときは。
 家に帰ってからや。風呂入って、歯ぁ磨いて、洗面台の鏡をふと見たとき。

 目玉の、白い部分。
 その白は、昨日までのそれとは随分違って見えた。

『……あ、あああああ』

 俺は慌ててその目を擦った。痛かった。赤なって、その浮いた血管の色も気持ち悪ぅて、もしこんなんがおかんや姉ちゃんや、滅多に会わへんおとんにでもばれたらと考えたらぞっとするほど怖ろしかった。
 棄てられると、思った。
 こんな白、ばれたら、棄てられると思った。

 それから目薬を買った。点眼して、それでも足りんような気がして、水道で躍起になって目を洗ったら眼球に傷がついたとかなんとか、半狂乱のおかんにおとんの勤める大学病院に引っ張ってかれて、そこでの検査はまるで死刑判決を待つみたいな気分やった。
 結果的に白の違和感はばれんくって、それでも俺は、自分の白目が俺にとっての意味をがらりと変えたことを、病院の待合室でぼんやり自覚した。
 俺はこれを隠さなあかん。
 ばれたら、あかんねん。それは怖ろしい強迫観念やった。



 それから、裸眼を見られるんは苦手や。謙也にやって、見せへんようにしとる。
 ──ばかげとる、自覚は、ある。それでも怖い、俺はたぶんもう、病気なんやと思う。



「せやから、きれいなんかやあらへんねん」

 飴ちゃんみたいなジローの目ぇは、俺をじぃっと、呆然と見とった。
 こいつは、俺を棄てるやろうか。それでもええと思ったからこそ、こんな話したんやけど。
 こいつは、俺から離れるべきやと思う。一刻も早く。

「……ゆうちゃん」
「はいな」
「おれ、ゆうちゃんのこと、すきなんだよ」
「俺はジローのこと好きでも嫌いでもあらへんよ。うらやましいだけ」
「うらやまC?」
「ジローの目ぇは、飴ちゃんみたいできれぇやから」

 俺がそう言うた途端、ジローはガタリと椅子を鳴らして身を起こした。俺は情けないことにちょっとびびって、肩をすくませる。怖い。
 なんでか、殴られると思った。
 せやけどジローの拳は飛んでこんくって、かわりに俺の両頬を、ジローのあったかい掌が包み込んだ。

「っ、ひ──!?」

 次の瞬間、俺の眼球をべろりとなまめかしい感触が這った。
 ジローが、俺の、汚れた目玉を舐めとる

「じ、ろっ……ひ、やめっ」
「ゆうちゃんのおめめだって、あまいもん」

 ジローの肩を押して引き離すと、泣きそうな顔の童顔と目があった。

「ゆうちゃん、ゆうちゃんはきれいだよ」

 それでもまんぞくできないなら、おれがしょうどくしてあげる。
 ジローの言葉が、いやに俺を満たしてゆく。


「ゆうちゃん、ねぇ、おれ、ゆうちゃんのこと、だいすきなんだよ」


 ──あ。
 俺の頬を、ジローの唾液が滑り落ちた。
 俺は、ジローにわかってほしかったんやろうか?

 一刻も早く、ジローは俺から離れるべきで。一刻も早く、俺はジローを突き放すべきやのに。
 そして俺は、一刻も早く、掛けなれた眼鏡でこの眼球をかくさなあかんのに。




(それとも世界が意味を変える音さえ聞こえたら、これらの柵もぜんぶ取っ払って、俺はジローを欲しがってしまってもええんやろうか)



 
 夕焼けの教室、ジローの眼球は、うるりと湿ったオレンジキャンディみたいで、ひどくおいしそうやった。



『はくだけきゃんでぃのこい』

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ハミング交響楽団のヒナノ葱子さんからえろたりさん小説を頂きました!!!余所様が書いたえろたりさん…!!新鮮でもう、もう爆発しそうです…。葱子さんの書く小説は本当にとても好きです。私はこんな風に書けないので、葱子さんのような長い小説をしっかり書いてみたいです。掲載許可が出たので自慢に貼っておきますぺたり。葱子さんありがとうございました!!


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