短編 | ナノ

ふるえる瞼

その顔があまりに美しかったから、俺は息をするのを忘れそうになった。優しく手を握りながら、安らかに眠る彼を愛しげに見つめる姿を見て。頭の中にあった何かが、音を立てて崩れたような気がした。

***

大型連休になると、東京に住んでいる侑士は姉と一緒に大阪にやってくることが多い。しかし、今回大学に進学したことがきっかけで侑士の姉は来なかった。その代わりのように、侑士にくっついてきたのは見たことの無い男の子。童顔でぼんやりしててずっと侑士の腕にくっついてたので、本気で年齢が分からなかった。侑士が「学校の友人」と言った時、謙也は思わず「何で中一の子?」と聞いてしまって、友人と言われた男がゆるやかに動いて「中一じゃなくて同級生だよ〜」と言った時にはすごく驚いた。彼が喋ったことにも、同級生だということにも。

芥川慈郎と名乗ったその男は、「おれ大阪ってはじめてなんだよねー」とふにゃけた笑みを浮かべて笑うと、謙也と握手をした。触れた手は眠いからかかなり温かく、そういえば侑士は低体温だからこれくらいの体温だと微熱だったなぁなんて見当違いのことを思い浮かべたりした。

弟の翔太は丁度友人との用事が被ったようで、侑士に軽く謝りつつも遊びにいった。翔太は何気に侑士と仲が良い。「また今度な、」と優しく言った侑士の顔は、前に比べて随分と大人びていた。というか、翔太を見る目が明らかに大人のそれだった。東京はそんなにも気を使わなければならないのだろうかと思ったが、同じ東京にいるはずのもう一人の男は侑士とは真逆だったので、体質というか気質なんだろうと思う。

侑士は人に気を使うし、周りの空気を読んで最善の結果を出そうとする。例え自分が納得のいかない結果になろうとも、自分だけが不利になろうとも。自己犠牲に近いそれを、謙也は何回か問うたことがある。どちらかといえば謙也は、皆で話し合って理解して一番良いと思う答えを見つけるタイプの人間で、自分だけが重荷を背負おうと思いはしないのだ。侑士は明らかに理解出来ずにいる謙也に、「社会って助け合いだけでは回っていかれへんのやよ」と無表情で淡々と告げた。すべてを諦めているかのような言い方で。

*

三人で何をするか。トランプとかボードゲームとか色々あるが、ぽやぽやな侑士の友人はゲームの途中でこっくりこっくり頭を揺らし、思ったとおりに眠ってしまうので仕方なく外へ出かけてみることにした。道中もかなり怪しかったが、家でゲームをやるよりかは眠気が覚めるようで侑士の腕にしっかりとしがみついていた。ぼてぼてとふらつきつつ歩いていたらたこ焼き屋があって、作りたてのたこ焼きが食べたいと彼が言い出したので与えると急にはしゃぎ出した。勢い良く口に入れて分かりやすく口の中を火傷したのを見て、学校の野生児を思い出した。きゃっきゃ言いながら喜ぶ姿とかはまさにあの子そっくりで、そんな彼を見て優しく微笑む侑士の姿もまたクラスメイトに似ている気がした。近くの自動販売機で水を買い、それを彼に与えながら心配そうに口の中を覗く姿とか特に。あまりに似ていたから、最初のうちは何とも思わなかったけれど。ふと、侑士はこんなことをする人間だっただろうかと思い出した。子供の面倒見は良いから、しない訳ではないが。わざわざ人の為に進
んで冷たい水を買い与えるような人間だっただろうか。結構面倒事には首を突っ込まないような人間だった気がするのに。東京に行ったことで変わったんだろうか。多分そうだろう。東京マジック。謙也はそう思うことにした。


ぶらぶらと歩いて、たこ焼きのおかげで眠気の飛んだ彼の行きたいところへ行くことにした。目新しいものを見つけて喜ぶ姿はとても幼くて、同じ年齢とは思えなかったが、侑士がそんな謙也に気付いてこっそりと「慈郎は誕生日五月やからこの中で一番年上やよ」と耳打ちしてきた。囁いた声がとても優しかったとか、彼を見つめる侑士の表情がやけに柔らかいこととかに初めて気が付いて、何故か急に胸がもやっとした。

***

本当に、彼は侑士の友人なんだろうか。ふとそんなことが頭によぎったのは家に帰ってからだった。散々振り回されたおかげで身体はもうくたくたで、彼も同じだったのか勝手に人ん家のソファで横になっておやすみ三秒。つまり夢の世界へ旅立った。ここまで来るともう怒る気にもなれず、もしかしたら彼はこうやって生きているのかもしれないなぁと思う。謙也だってすぐにでも寝たい気分だったが、その前に汗は流したかったので侑士に聞くとやっぱり同じことを考えていたようで少しほっとした。謙也は、「風呂沸かしてくる」と言ってその場から離れた。

―そして、風呂場から戻ってきた謙也が見たのが最初の光景である。寝ている慈郎を慈しむ侑士の姿。それは、友人というよりも。

「……侑士、風呂入ったで」
「…ん、ちょっと待っとって、慈郎起こすわ。じろちゃん起き、お風呂やって」
「…んー…、ん…、」
「ジロー、」

顔を近付けて(正しくは耳元)揺り起こす。すると彼は何度か目を擦って、ゆったりとした動きでのろのろと身体を動かした。距離の近い侑士に手を伸ばし、腕を巻きつけて抱きしめる。さながら、母親に甘える子どものように。
疑問は確信へと変わり、そして証明された。すっと胸に抜けるような冷たい何かは、誰にもばれないようにそっと胸にしまいこんだ。

*

侑士は謙也に比べて随分とゆったりしていた。謙也から見れば侑士はどこかぼんやりしていて、幼少期からずっと『侑士は俺が守らなあかん』と勝手に思っていた。けれど本当は、違っていたのだろう。守らなければいけないと思っていたのは、本当に守りたかったのは。

「けんやくん、」

侑士と一緒に風呂に入りに行ったとばかり思っていた彼が、不意に謙也の名を呼んだ。それは謙也の今の心境にとっては最も聞きたくなかった言葉かもしれない。外にいた時よりかは幾分と和らいだ声に、謙也は慈郎の顔を見ることなく返事をした。

「今日はありがとね。いっぱい観光させてもらって」
「ええよ別に。楽しんでもらえたんならそれで」
「そっか。うん、とっても楽しかったよ」
「……なぁ自分、」
「ん?何?」

ここでやっと謙也は慈郎の顔を見た。これから言う言葉に、彼がどう反応するかを見極めるために。

「―自分、今幸せか?」

きょとん、と慈郎の目が丸くなる。そりゃあ急に何を言い出したのかと思いもするだろう。実際に同じことを急に何の前触れも無く聞かれたら、謙也だって同じように固まるだろう。しかし慈郎は思ったよりも早くにその言葉の意味を噛み砕いて、ふにゃりと表情を綻ばせながら笑って、

「うん。俺、今とっても幸せだよ」

と言った。それがすべてを物語った。

*

己の気持ちに気付いたのが、相手に恋人が出来た後だなんて。笑い話にも出来ない滑稽な話だった。恋をした途端に終わるだなんて。いつものスピード勝負は何処へ行ったのだろうか。謙也に微笑んだ慈郎はその後、侑士に呼ばれてまた奥へと消えていった。残された謙也は誰もいない場所で一人、先程から歪んだ世界しか映さない瞳をそっと閉じて、熱くなった目を手のひらで覆い隠した。







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