長編小説 | ナノ


込み上げる衝動と動揺と後悔の念
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『仕事辞めたわ』

電話越しから聞こえた言葉は唐突で、相手はさらりと重要な事をいつもと変わらぬ声音で囁いた。あまりに唐突過ぎて反応に遅れた。ぴたりと思考回路が止まる。

「……はい?」
『せやから、俺仕事辞めたわ。昨日辞表出してきたし』
「…いやいやちょい待ち、自分辞めたって…」
『知っとると思うけど、病院やで』
「それくらい分かるわ俺にだって!!え?でも何で?そない急に…」

侑士が病院に勤め始めたのは半年前。同じ学校に通って、同じ勉強をして同じように試験を受けて。どちらも一緒に合格して、俺は実家の病院(家が開業医なので、医師免許を貰ったら家業を継ぐための色々を学ばされることは初めから知っていた)へ、そして侑士は父親の勤める大学病院にほど近い東京の病院(同じ病院ではないらしい)へと就職が決まっていたはずだった。それなのに、たった半年で侑士が病院を辞めるだなんて、想像もつかない事態だった。頭の中が混乱して、意味を理解出来ずにいる。どうして、以外の言葉が思い浮かばなかったから、何度もそれを口にした。そうしたら、侑士は少し口ごもった後、「聞いたら後悔するかもしれへんで、」と俺に忠告してからぽつり。


『―病院の医院長と不倫したんよ、』


と、言った。


*

つまり侑士の話をまとめると、侑士は病院に勤めるようになってから自分に優しくしてくれた医院長(病院の一番偉い人)とカラダの関係を持ったらしい。元より性別にあまり頓着しない性格の侑士は、恋人が男である事も少なくはなく、しかしながら大体長くは続かない。侑士曰く、「需要と供給の不一致」なのだそうだ。(ちなみに侑士が振るらしい。相手は大体すがってくるらしい。全部侑士から聞いた話なので、事実かどうかは謎だけれど。)
医院長には妻子がいて、簡単に言えば奥さんにバレてそそくさと逃げ出したということらしいのだが、それなら別の病院に行けば良いだけの話なのに、何故か侑士はその話をあまりしたがらなかった。

「…なぁ侑士、他の病院は…」
『ええよもう。新しい仕事はまだ決まってへんけど、当てはあんねん』
「侑士…、」

昔から俺たちは、同じ医者を父に持って生まれてきた。幼少期は知らなかったが、今ではそれは血の宿命であったことで、つまり俺たちの将来というのはすでに生まれた時から決まっていた。『忍足』に生まれた俺たちは、その名に恥じぬよう立派な『医者』になる必要があって、そのために一生懸命勉強をして、自由な時間を削って、やりたいことも後回しにして頑張ってきたのに。

―侑士はそれを、たかが『上司と不倫した』ことが理由で『医者』を辞めるつもりなのだ。

意味が分からなかった。だってあんなに必死になって医者になる為に誰よりも勉強して、就職しても勉強しなければならないことはたくさんあって、俺たちは勤める病院は違えど共に同じ信念を持った同志だと思っていたのに。それなのに、そんな、そんな理由で。

『…実家には帰らん。っちゅーか、帰れへんやろ。『忍足』の名が汚れるだけやし。せやから東京に残るわ。もう二度と、大阪へは戻らん』
「…侑士、なして、そんな…っ!」

侑士は馬鹿ではない。ちゃんと分かっている。侑士が病院を辞め、医者ではなくなってしまえば、本家が何を言うか分かったものではないのだ。だからこそ、別の病院―どこにも当てがないのであれば、俺の家でも構わない、はずなのに。


『―謙也、』


囁いたような声音で話す侑士の、柔らかな口調で、俺の名前を呼んで。


『…ありがとうな、』


そう、一言告げると、電話の回線は切断された。







***

「…なぁ侑士、この話はここで終わるべきやと思うんやけど…」
『謙也俺な、久しぶりに明太子食べたくなってきてん。速達とかで送ってこれへん?』
「明太子て…速達っちゅーか生ものやから郵送の方法が色々…って自分でスーパー行って買ってこんかい!!なして俺がわざわざ送らなあかんねん!!」
『謙也のケチー、ええやんどうせまた仕送り送ってくれるんやろ?』
「…自分それ一応期待しとるん?」
『しとるしとる。だって謙也が仕送り送ってくれへんと冷蔵庫の中空やもん』
「っっっ自分の食事くらい自分で買ってこんかい阿呆!!」

…といいつつも仕送り用の段ボールをわざわざ買って必要なものを中にしまう俺は何ていうんかな。ケナゲ?なんかちゃう気がするんやけど。

あの後、俺は必死で何度も電話を繰り返して、侑士がやっと電話に出てくれたのは一週間後だった。会話出来るかは正直自信なかったけど、でも俺はずっと侑士のことを見ていて、ずっと侑士のそばにいた一番心が近い奴やと思っとるから、もし何かあるんやったら聞きたいと思った。だっておかしいのだ。病院を辞めた理由だって、最初は俺に隠そうとした。それはきっと、ほかにもっと重要な理由が隠されているに違いない。俺には分かる。何年彼のそばにおったと思っとんねん。自信なら異常にあった。
第一声は「インスタントと外食にあきた」だったような気がする。自分で料理を作れる人間が何を言ってるんだと思ったが、買い物に行くのが億劫でスーパーとか行きたくないと駄々をこね始めたので(電話越しである)しょうがなく、善意で送ったったらそれから一ヶ月ごとに仕送りするようになった。心配だから、本当は会いに行きたいけれど、時間の都合上それは無理だったので。少しでも彼のためになればと思ってやっていることだからまぁ不満はないのだが、まさかここまであてにされるとは思わなかったので今ではちょっと変わったものを見つけたりしたらそれも一緒に送ったりして…ってやっぱり俺ケナゲやろ。相手に全然見返りとか求めてへんしな。

今は未だ、彼の真意を探って答えを導き出すことは出来ていないけれど。いつか絶対にその答えに辿り着いて、よう分からんけど抱き締めたい。会ってない時間はどれくらいだろうか。痩せたりしていないだろうか。一週間に三回は声を聞くけれど、(言っておくが暇ではない。仕事が終わった後少し睡眠時間を削ったり昼休憩を利用したりとほんの少しの自由時間を最大限に利用している)実際に会ってはいないから分からない。写真とか、写してくれるヤツやないし。だからこそ、俺は、いつか必ずお前に会いに行くよ。(仕事忙し過ぎてそれどころやないけどな!オトンもオカンも厳しすぎやっちゅーねん!!)


 


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