悲哀に脅され
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夏侯惇と顔を合わせる事が減った日々に、名前は今までの行いを脳内で繰り返し思い出していた。
他の兵達に田舎者と馬鹿にされながら、泥に塗れ駆け抜けた戦場。掌に収まる程度の稼ぎを全て家族に送り続けた日々は、やがて実を結び副将の座を頂ける程になった。だが思えば毎日夏侯惇に叱られてばかり居た様に思う。

それでも解雇せず見守ってくれていたあの瞳は今はどこにもない。

「いつしか私は…夏侯将軍のお叱りに甘えてしまって居たのです」

間違いだったと繰り返された言葉は、甘く。それでも尚隣に居れた事に安堵して居た。まるで逆の事を言われて、本来なら喜ぶべき事が素直に喜べないのである。人は叱られて居る間が花、何も言われなくなったらそれは終わりを意味して居る。それに気付くのがあまりにも遅過ぎたのだと名前は思う。

小さな体を隅に寄せた涙声に夏侯淵は、何とも言えない気持ちに襲われ言葉を発する事が出来なかった。そもそもの原因は、夏侯惇が戸惑いに襲われ全てを曖昧に終わらせようとした事が原因と思える。が、それだけでは無い様な気もするのである。

「なあ名前、惇兄の事好きか?」

「す、好き?ですか?そりゃ…沢山可愛がって貰いましたし嫌いではありませんが」

涙に濡れた瞳をぱちくりとさせたその表情は、夏侯淵の言葉を本当の意味として受け取れて無い様に見える。否、それも一つの原因だったのだろう。名前がもう少し女としての弁えを知って居たとしたら、この様に鈍足に事が進む事は無かったに違いない。
戦に身を置けど、男と女に変わりはない。だとするなら、そこに主従関係以外の感情が芽生えるのも道理。

「お前、鈍感だって言われた事ないか?ん?」

しかし、夏侯惇と名前に恋のこの字は自然に芽生えてくるものではなかった。

「鈍感…ですか…確かに、負った傷に気付かず注意されたことはあります」

「そう言う鈍感じゃねぇよ」

己の気持ちを押さえ付けたり、酷いと言いたくなる鈍感さだったり。どうしてこうも二人揃って面倒なのだろうか。
そこに挟まれる身にもなってくれと言いたそうに、頭を抱えた夏侯淵は突如やって来たそれにあっと声を上げる。

「そう言えば、この前お前に文を出したんだが届いたか?」

「文ですか?いえ…何も届いてませんが」

そうかそうかとわざとらしく頷いて見せ、夏侯淵は隅に縮まった姿に歩み寄るとその小さな両肩に優しく手を添えた。

「なら直接伝えるしかねぇよな?…名前、俺の女にならねぇか?」

いつも聞く戯けた声音はどこへ行ったか、優しく撫でつける様な声に名前の肩がびくりと跳ね上がった。

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