机上で殺し合うおとな - - - 虫喰い様より拝借 - - - - 心地の良い昼下がり、長閑な日差しが差し込む。だが積み上がる竹簡を挟んで睨み合う二人が居た。陸遜と呂蒙の元で軍師の勉強をしている名前だ。二人は言わば競争相手、毎日やってくる竹簡を挟んではこうして小さな争いを繰り返していた。 初めは呂蒙の部屋でたまに何度かぶつかる程度だったのだが、痺れを切らした呂蒙が一つの部屋を用意した結果がこれである。要は喧嘩をするなら余所でやれと言う事だ。 「全く…毎日毎日あなたと顔を合わせるなんて、不快でなりません」 「それは私の台詞です、私は呂蒙殿と仕事がしたいのに」 竹簡を広げながら溜め息を吐く名前を睨み、陸遜はそれが狙いですかと呟いた。まさに水と油、全く混ざるような事が無い。 「誤解しないで下さい」 私は呂蒙殿の実力を心から尊敬して自ら仕官したんです。 ぱっと陸遜を見やると、何とも生意気な表情を浮かべていた。まだ年も若い若手の陸遜だが、それには及ばず実力も力も十分持ち合わせている。二十歳がもうすぐ見えてくる名前にとって陸遜は年下。本来なら可愛がるべきなのだが、どうにもこうにも可愛がるなんて事が出来なかった。 表向きとても人が良く、爽やかで誰にでも優しい振る舞いをしている姿が嘘のようだ。 陸遜は名前に限っては手のひらを返したように、辛く当たる。 「…はぁ、呂蒙殿」 「…少し黙って貰えませんか?耳が気持ち悪いです」 名前は目の前の竹簡を終わらすと、ゆっくりと腰を上げてお茶を入れに茶器に手を伸ばす。勿論一人分しか煎れない。 「呂蒙殿もこんな不貞な弟子を持って…流石に胸が痛みます」 「不貞?私がいつ不貞を働いたんですか?」 「口を開けば呂蒙殿の事ばかりではありませんか」 何度言ったら理解して貰えるのか。それは呂蒙のような夫を持てたら、女としてとても幸せな生活が送れると思う。だからと言って名前が抱える気持ちはそこではない。 湯気の立つお茶が出来上がり、ゆっくりと口に運び乱れた気持ちを整える。陸遜の言葉に振り回されたらそれこそ収拾が付かなくなるだろう。 「もう…ほっといて下さい」 疲れたように呟く名前の背中を見つめていた陸遜は、それから漸く静かになり竹簡に視線を落とした。 突如訪れた静寂は穏やかな風に吹かれる。そよそよと先程の争いも嘘に思えた。 どうしてこんなにも争うようになってしまったのだろうか。そもそもその理由は遠い過去にあるような気がしながらも、思い当たらない気がした。ただ仕事上で顔を合わしてるだけだったと言うのに、いつの間にかこんな関係になってしまった。最早修正する方法も見当たらない。 暖かいお茶で喉を潤しながら、名前はほっと息を吐いた。 そんな名前を盗み見ながら、陸遜は右手に握った筆を静かに下ろす。 「あなたが…悪いんですよ」 静寂に響いた陸遜の言葉、思わず振り向くとばっちりと目が合ってしまう。まるで掴まれたように逸らせない視線。 「そうです、あなたが…あなたが悪い」 まるで自分に言い聞かせるように、力の無い声。 「…どうか、した?」 名前が困ったように小首を傾げると、いつにも増して苛立ちに表情を歪ませた陸遜が椅子から勢い付けて立ち上がった。大きな音を立てて床に転がる椅子。 「何故いつも呂蒙殿の事ばかりっあなたと仕事をしているのは私なのにっ!!」 何故名前さえも呼んでくれないんですか!!何故呂蒙殿ばかりっ…私はこんなにも、私は…。 奥歯を噛み締めて、陸遜は部屋を飛び出してしまった。驚いて声も出ないまま、一人残された名前は陸遜の出て行った先を見つめる。 遠退いて行く足音を耳にしながら、掴んでいた湯呑みがするりと床に吸い込まれて行く。 名前の足元で砕け散った湯呑みは、もう二度と形を成すことは無いのだろう。 「…悪いのは、あなたでしょ…陸遜殿」 足元の破片を足先で触れながら名前が小さく呟いた。 机上で殺し合うおとな (また喧嘩をしたのか…) (陸遜殿がいつも辛く当たるのが悪いんです) (そなたらもまだまだ子供、だな) (…私は、悪くありません) ← | → |