幻日の夢
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肌寒い日と暖かい日が交互に続いた、漸く新芽を拝めると思ったが風は冷たく肌を刺した。喉から迫り上がる咳には真紅が混じり、この体も日々病に怯えるように小さく震えた。
以前は毎日でも足を運んでくれた三成も、いつの間にか連絡さえも寄越さなくなる。忙しいのだと言い聞かせながら、病に逃げたのかと言う不安を掻き消した。
三成は病一つで足を運ばなくなるほど、器は小さくないと思っている。過去の茶会の話を思い出すと、弱る体にも幾分か力が入る。

小さく溜息を吐き出しながら、口元に小さな笑みを浮かべると曇り空からぽつりぽつりと雨が降り注いだ。その音に視線を上げるように、小さく切り取られた空を見遣れば、何とも重苦しい気が包み込む。
名前はすっかり冷めた湯飲みに残るお茶を一気に飲み干すと、また小さく息を吐き出す。それは溜息なのか何なのか、謎に宙を彷徨った。
冷たい雨は、どこか三成に似ているような気がした。孤独にさめざめと、でも雨上がりの陽気は内に秘める優しさに似て。ごく僅かな人に見せない笑顔を想像させる。

降り出したこの雨も、彼の笑顔の様に晴れてくれるだろうか?そんな風に思いながら首をこくりと傾げた。最近はこうして体を起こしている間も、どこかが痛んでいるように息が苦しい。
暦さえ曖昧に、今何日なのかさえ分らなくなってしまった。だが、いつ来るやも知れぬ訪問者を思えばこうして無理をしてでも起きて居たいと思ってしまう。
その思いもあっけ無く、暫くすると畳に寝そべってしまうのだが名前の瞳はじっと瞬きを繰り返していた。霞むような視界、それでも何かを待っている。



「…何だ、いつものお前らしくないな」


皮肉が混ざるその声は、いつの間に忍び込んだのか。はたまたそれは幽霊の様に足が無いかの如くやって来た。少しだけ顔を傾ければ、珍しく甲冑を身に纏う三成が居た。
あれ程待ち望んでいた人物の来訪だというのに、何故なのか気力が沸かない。名前は信じられない物でも見るような目を見開き、その姿を映した。


「流行り病、か?……何故連絡を寄越さない」


「三成?…」


「ここらの集落なら文を飛ばす事くらい容易に出来ただろう…全く、相変わらずだな」


寝そべった名前を労わるように隣へそっと腰を下ろした三成は、呆れながらも表情は明るかった。こんなに清々しい表情を浮かべたのを見た事があっただろうか?自身はそれなりに打ち解けていると自負していたが、こんな顔は今まで一度も見た事が無かった。
両腕に力を入れてゆっくりと起き上がろうとした名前だったが、上手く力が入らずに再び畳に伏せてしまう。よもや来訪者の前でまでこの様とは我ながら呆れてしまう。
とうとうこの体も使い物にならなくなったかと思う、その瞬間。

三成が容易に起こしてくれた。
漸くまともに視線の高さが保てると、ほっとする。只でさえこの距離を保つのが難しい人なのだから。


「何だか、久しぶりな気がする」


「そうだな…戦況はどうなった」


「三成?」


ピンと糸が張り詰めるが如く会話のかみ合わなさに、その横顔を見つめると先程とは打って変わって厳しい表情が瞳に映った。まるで傍に要るのに随分遠い所に居るかのようで、今紡いだ言葉さえも届いていないような不安に刈られた。
震える指先でその頬に触れようと思ったが、名前の手は後一歩の所で止まる。



「仲間は…援軍は……」


苦しそうに俯いた三成を見つめながら名前は悟ったのだ。

この友人は、闘いに居る最中にもこうして無理を推して会いに来てくれたのだと。
そう気付くと、重いと感じていた体は少しだけ楽になったように思う。それと同時に体の奥からぐっと涙が込み上げてきた。今はまだ、何も気付かないで居たいと願ってしまったのだ。


「三成…今日はとても冷える、お前も私の様に病に掛かるといけない」


そっと行き場の無くした手を膝に戻し、部屋の隅に視線を送った。迫り上がる咳を手の平で押さえながら、振り続ける雨の音は優しい。揺れた体に、涙が畳にぽたぽたと沁み込んで行く。

沁み込んで行く。




今日は雨が止まなかった。
ゆっくりと、また体を横にすると視界の隅にまだ彼の姿があった。なるべく見ないように心がけながらも、名前の瞳は隅を気にする。


「……名前、無理はするなよ」


それは遠いかの地で紡いだ言葉か、あるいは、今この一時に紡いだ言葉なのか。胸の奥に咲いていく暖かな温度に、この降りしきる雨の冷たさは届かなかった。


指折りに数えし時は数知れず知る時ぞ知る幻日の夢


生温い口元を拭いながら名前は小さく笑った。


三成は笑いはしたが、この身を案じた事は無い。名前は何度も指折りをしながら、過去の記憶を掘り返す。三成がまだこの家にやって来た頃の記憶を。

その時、雨はより一層強く降り出した。湿った土を掘り返し、辺りに散らし、緑の草木を濡らす。濡れた土から微かに残る熱が放出し、冷たい風を遮った。

名前は虚ろな瞳に動揺を映しながら、息を呑む。




終幕


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