我が地獄
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思えば彼は純粋過ぎたのだ。そして、心は今も幼い子供の様におどけて無邪気で居る。黒猫の尾のように気紛れに揺れる黒髪に手を伸ばしながら思った。指の隙間をまるで水の様にさらりと流れ出す感覚に、どきりと胸が跳ねる。
何故?どうして?そんな言葉はもう口にしないと誓った、何故なら答えはどこにも無いからだ。佐々木小次郎と名乗った人斬りに故郷の村が襲われたのは、一月も前の事。両親の命を盗賊に奪われてしまい、たった一人で生活していた私には大して気にも留めないものだった。それだとしても、叫びと断末魔の響く地を蹴ったのは決して偽善でも正義でも無く、ただ何となく。まさか、幼い頃父に教わった剣技が役に立つとは思っても居なかったが。


「あぁ…物足りない、ねぇ斬り合おうか?」


怪しく前方から響く声に、追憶の波を落ち着かせるとくるりと振り返った小次郎をまじまじと見つめる。相も変わらず人の命を奪い続け、まだ足りないと口にする。随分と欲深い人間だと名前は思う。至近距離で感じる刃の冷たい感覚に一歩後退すると、小次郎は冗談だよと言いながら楽しげに笑った。


「君はそこらの可哀相な人間とは違う…だから、僕には殺せないよ」


「そうなの…」


何も考えず崩壊した村の真ん中で、剣を少々交えた。本当の斬り合いともなれば、今生きている命などあっという間に消え失せただろう。何故小次郎がそうしなかったのかと、今でも謎に思う。ただ、付いておいでと真っ白な手を差し伸べられた時何かに引き込まれるかのようにその手を取ってしまったのだ。
人を惹き付ける魅力がある人間は、自然と周りに人が集まる。小次郎は決してそう言う類の人間ではなかったが、名前の胸の内を鷲掴みにするような威圧感は誰にも引けを取らない。

鋭い眼光はじっと名前を見下ろし、口元は弧を描く。足元に散らばった命の花弁とは裏腹に、眩しい程晴れ渡った空は小次郎の肌をより一層白くさせた。
名前は懐から手ぬぐいを取り出すと、濡れそぼった小次郎の頬へとそっと当てる。踵を地面から離し力一杯伸ばした手は、何とも短いもので。女の弱さを思い知る。


「ふふっ有難う」


「小次郎…飽きた、そろそろ辞めよう」


幾つ追悼の花を摘んでもきりが無い。名前の言葉が予想外だったのか、大きな瞳が更に大きく見開かれた。


「嫌だよ、まだまだ可哀相な人が沢山居るっ僕が斬ってあげなくちゃ」


名前は大きく溜息を吐き出しながら、大きくしなやかな手に手ぬぐいを預けるとくるりと背を向ける。大きく一歩足を踏み出して、水分を含んだ土を踏み締めると泥濘が草履に手を伸ばしていた。まるで、進む事さえ許さないと言っているかのように。重く重く圧し掛かる命の重みが、顔を顰めさせた。名前は限界点を当に超えている事を感じ取っていた。ましてや人を傷つけるのを楽しんだ覚えもないし、腰に下がった刃はもう随分と寂れてしまった。

みるみると開いて行く二人の距離に、冷たい風が通り抜ける。小さな背中を震えた瞳で見つめる小次郎は胸の喪失感に、息を呑み駆け出した。小次郎の両手に収めるのも容易い体は傾きながらも、その中に身を落ち着かせる。失う物を取り戻すかのように、強く強く名前の体を抱きしめる小次郎は苦しそうに言葉を紡いだ。


「だって僕が斬ってあげないと…お願い、どこにも行かないでっ」


まるで子供のようだと思いながらその声の主を見上げると、大粒の涙をぽろぽろと頬へ落としていた。やがて名前の頬にも落ちてゆく、温かい雨。

思えば彼は純粋過ぎたのだ。

創痍腫れ掴む紅踏み締めて我が地獄にて音頭に踊れ


「小次郎…泣かないの」


「名前が傍に居てくれるなら、ね」


彼女は優しい、そして困ったように笑う。それを勝手に肯定と受け止めながら、小次郎の紫色の瞳が喜びに震えた。後幾日共に歩み続けるか、手を取り合い背を向けた現実は悲しくも静かに転がり落ちていた。散らばるも踏み荒らされた、この世界に懺悔して遠く感じた小次郎の笑い声は軽やかに鼓膜を叩く。

あと何本もの花が必要か?この言葉は、いつ彼の心に届くのだろうか?


終幕


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