怒れる瞳
- - -
以前河原から持ち帰ってきた石は、誰が見てもそこらに転がる石だと口を揃えて言うだろう。河原の湿気に変色した様子がまるで泣いているように思え、優しく自身の部屋にて眺めていると色を変えた事が泣き止んだと、今でもそう思っている。だが理解しきれて居なかったのだ。この石がどこから流れ着きあの河原に辿り着いたか、何を願いそこに佇んでいたのか。名前の黒目は今もその石を見つめながら、部屋の畳に転がっていた。粗目のような触り心地に、そっと瞼を下ろすと縁側を挟んだ庭先から静かに呼び起こそうとする声を聞く。
良く耳にする声音は、どこか申し訳無さそうにもう一度名前の名を呼ぶ。だが一度閉じてしまった瞼はそう簡単に持ち上がろうとはせず、真っ白い闇の中で視線を泳がせている。やがて、御免と言う言葉と共に縁側から足を踏み入れる軋んだ感覚が背中に伝わった。


「どうかされましたか、幸村殿」


「お、起きてましたか」


畳を滑る音に、硬く閉じていた瞼を漸く持ち上げると。見覚えのある姿が逆さまになって瞳に映りこんだ。穏やかな口調に微笑む様は、何とも優男らしく感じたがその瞳の奥に眠る熱を知っているような気がしていた。差し詰め季節の変わり目に荒れ狂う空の様に。蝋燭の明かりを気にしながら見上げるそれに似ている。
つられて名前も口元に笑みを浮かべると、幸村の表情から安堵の様子が見受けられた。この男はどこまで優しいのだろうか、本来ならば叱る所だと思うのだが。これが兼続ならばと思うと、背筋がぞっとした。

見下ろす彼にまで思っていたことが伝わったのか、幸村は困ったように笑っている。長篠の苦痛な時とおさらばし、再び穏やかな時を過ごすようになってからと言うもの気が緩んで仕方ない。欠伸の一つも出ておかしくない。それでも、必死に喉の収縮を我慢していると黙っていた幸村から眠いのか?と問う言葉が発せられた。


「眠くないといえば嘘になります…が、思う事が出来ましたので」


「思う事、ですか?」


「幸村殿、の事です」


勢いつけて体を起こすと、幸村ははて?と言いたそうにその言葉の意味を考えているようだ。そう、彼は真面目すぎるのだ。だからついこうして言葉を遊ばせたくなる。だが合点も行かないうちに幸村は瞼を伏せて、縁側から吹き込む風に身を任せた。たちまち揺れる鉢巻の紐、忙しなくまるで何かに追い立てられているかのよう。
暫くは風の音色だけだった、この部屋に響きだしたのはやはり笑い声で。


「私もあなたの事を考えておりました、どうも我々は似た者同士のようで」


今度は名前が首を傾げる番。真面目で世間の荒波に追い立てられる、そして決して揺るがない熱い熱を持つ幸村とどこが似ているだろうか。まるで逃げ込むようにこの城にやって来て、終わりを求めて生き続ける毎日。そんな姿に彼との共通点などどこにも無い、そう感じていたというのに。
伏せ目に口を閉ざした名前の膝から、先程ずっと眺めていた石が一つ転げ落ちる。鈍い音を立てながら畳に到達すると、激しい違和感を感じさせた。

幸村はその石に手を伸ばして、まじまじとあらゆる角度からその泣き止んだ様子を眺めると、一度強く強く握り締める。鉱石ともなればそう容易く砕ける事も無いだろうと思っていたのだが、大きな拳が開かれるとそこには細かな粒が肌に張り付いている。硬そうに見えて案外脆いものだ。


「あなたは私を鬼神のようだと思っているかもしれませぬが…この石の様に脆い物に変わりはありません」


波に流され、あちこちに傷を負いながらもまだ諦めも付かず。今一度立ち上がってはみたものの起伏する荒熱が日々の生活で持て余される。されど体は日々確実な死へと向かっている。人も脆い、私もあなたも何て…。表に見えるものだけは強くあるべきだと見繕う、そうまるでこの石のようだ。

逃げ切れない絶対的な終わりと裏腹に、傍観していたと思っていた心は実は共感していたのだ、と気付かされる。気持ちばかり熱く燃え上がっても、体ばかりはどうにもならない。そう言いたいのだろう。何故か確信を付かれた思いで、名前は苦痛に顔を歪める。


「あなたの…名前殿の人間らしさを、私は素敵だと思います」


「弱さを人間らしさと申しますか…幸村殿もなかなか残酷なお方ですね」


嵐来て流れる体涙して燃えては熱く怒れる心


そうして微笑んだ様子を、やはり鬼神の如く強さに長けていると感じたのは。絶対的な弱さを持ちながらも、絶対的な強さを持っている幸村だからなのだ。そっと見つめた小さな手の平は、小刻みに震えてその強さを震撼している。
やはり、幸村殿と似てなどおりません。
顎を引き強く瞳を開いて、名前は戦場に降る雨のように冷たく言い放った。まるで怒りに我を忘れるように。全てを振り払い、炎に身を任せる。そんな姿を目に焼き付ける様子でじっと見つめる幸村は、困ったように笑いながら首を横に振った。
障子を強く揺るがす風は、嵐の予感。轟々と鳴り響き、地面に落ちる花弁をも巻き上げて行く。ふと我に返る名前は立ち上がろうとしたその手を捕まれると、冷えていく指先から燃えるように熱い熱を感じ取るのだった。


終幕


|

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -