錆び付いた空
- - -
まるで一つの松明が消えていくように、この空にもいずれ夜がやって来る。それを知らせたのは肌を刺す冷たい風だった。肩の僅かな角に掛かる、羽織を握り締めそのまま頭上へと引き上げた。雨でも降りそうだと、口にする瞬間。だが、それを呑み込ませたのは枯れ始めた木々の葉が幾つも冷たい風に流された景色。本当に、雨でも降ったのかと陳腐な意識が錯覚した。


「まだそこに居たのか…そろそろ戻ったらどうだ?おねね様も心配するだろう」


落ち着いたその声音に振り向くと、腕を組んだ兼続がそこに立っていた。視界を半分羽織に奪われたまま、困ったように口元を綻ばせて見せると案外直ぐ傍に居た兼続の大きな手が、名前の目の前を完全に覆った。思わず羽織を掴んでいた手を、地面へと落としてしまった。真っ暗な夜の様に、何も見えなくなった視界はどこか幼い頃の母に似た安堵を覚える。そう、あの細い腕に抱かれた時の様に。
名前は兼続の大きな手にそっと触れながら、柄にも無く乾いた笑みを零す。頭からだらりと下がる羽織は、冷たい風に揺れながら幾分か重さを増したように思える。

「明日は、晴れてくれるでしょうか」


「…さぁな、だが晴れて貰わねば困る…三成もそう思っているだろう」


戦の前はどうしても、気持ちがわざわざと騒ぎ出しどこにも居たくなくなる。むしろこの場所に居場所があるのかどうかさえ、分からなくなる程に。かつて友となった三成は大軍を率いて明日発つ事になっている。戦への参加を認められなかった名前は、その事実を聞いてからずっとこの庭に立ち竦んでいた。


「…いつも思いまず、私達に明日はあるのだろうかと」


暗い視界の中瞬きをしながら、少し低く発せられた名前の声は優しい笑みを浮かべた兼続の顔を曇らせる。まるでそのまま倒れたら命など無くなってしまうかのような不安の日々。眠りにつけば思い出す、真っ赤な軌跡。
以前それを三成に申してみれば、だから女など戦に不要なのだと言われてしまった。今回の不参加はその言葉が祟ったのかもしれない。名前は兼続の手から逃れて、今にも燃える真っ赤な空を見上げた。雲までも染め上げて、まるで戦場のように、空は夜への道をゆっくり進んでいる。

ただ、そこにありながら一番残酷に存在し続ける。

冷たい風を吸い込みながら、風に吹かれた前髪。ゆらりと一度大きく舞い上がると、名前の瞳はより一層真っ赤な空を垣間見る。


「苗字…俺達の明日は、必ず願う天下に繋がっている」


「そうですね…ただ、口にしてみたかっただけです」


名前はゆっくりと目を細めて、小さく微笑む。願わくばこの荒れ果てた地に平穏を。

一歩小さな足が歩き出すと、足元で枯葉が小さく鳴いた。まるで、今まで戦い抜いてきた様子を表すかのように。途端に悲しみが広がって行く体は、もう一度空を見上げ息苦しそうに何度も呼吸を繰り返す。
すると、再び兼続の手の平に視界を奪われてしまう。何も見えなくなった、それが名前の心を何よりも安堵させる。


「今は何も見えずとも良い…だが、いつか我らの未来を勝ち取ろう…そう誓おう」


「…はい」



初国に人影有りて戦有り錆び付いた空慄く心

何が悲しくて、こんなにも泣くのか。いよいよ降り出した雨の温度を感じながら、瞼を上げるとそこには優しく微笑んだ兼続の顔が見えた。夕餉の香りも鼻を擽り、じっと根を張るように動かなかった足は漸く進もうとしたのだった。


終幕


|

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -