賢兄の背に - - - あの橋を渡れば、世はたちまち色を持つだろう。灰色の世界に紅の散るような世界など、名前が背負う物ではない。世界はこんなにも彩りに輝いているのだと、その目で確かめて欲しい。 出来るだけ早く。 「本当に慶次が迎えに来てくれるの?」 「嘘をついてどうする…猿回しが見たかったのだろう?」 この度、豊臣方につく事になった上杉軍。今まで幾度も戦を経験して、目に焼き付けてきたが。敵方も今は落ち着いてると言う事で、巷で話題になっている猿回しを見てみたいと兄のように慕ってきた兼続に話した所。喜んで慶次に頼んでやると言っていたのだ。あっという間に段取りが進み、昨日話したばかりだと言うのに今日見に行けと背中を押されていた。 「あぁ…葉も色付いて、綺麗だな」 「ねぇ兼続…」 「巷で話題になる位だっ楽しんでくるんだぞ」 先程からずっとこの調子で、いかにも何か含んでいるような感じがする。名前でもそれくらい分かっていた。のんびりとした足取りで進む先には待ち合わせの橋が見える。やがて蹄の音が遠くからやってくると、松風に跨がった慶次の姿が見えた。 名前はふと兼続を見上げると、とても清々しい顔で慶次を見つめていた。もしかしたら、ふと脳内を過ぎった考えに肩が震える。 「兼続…っ」 「ほら慶次が待ってるぞ、駆けろ」 「兼続」 強く背を押されるといつの間にやって来たのか、すぐ側に慶次が居た。勢い良く飛び出した名前の体は、そのまま逞しい慶次の腕に捕まり持ち上げられた。 名前の中でうっすらとしていた不確かなものが、みるみると鮮明なものへと変わって行く。 長く付き合って来た縁がぷつりと切れてしまった、そんな気がした。 「兼っ…あにさ、ま…………兄様っ」 望まれた喉から出でし掌は賢兄の背に一つ届かぬ 名前は力いっぱい手を伸ばした。少し切なそうに、だが優しい笑みを浮かべた兼続の手を掴もうとして。 風のように走り出した松風の足は早く、橋を一気に渡っていく。小さくなった賢兄を見ながら名前は涙を浮かべ、深く深く頭を下げたのだった。 心辛く小さくなる姿は何と、何と、儚い事か。などてその姿を脳裏に焼き付ける他、出来る事は無いのである。 終幕 ← | → |