指折り数え
- - -
その晩は月がとても丸かった、手を伸ばしても届きそうに無いと言うのに。果てしなく遠い月はとても大きく、辺りの夜空を照らしていた。月の窪みさえ見える今宵の澄んだ空、名前は白い息を吐きながら襖の隙間からそんな景色を眺めて居た。
細く長い指で障子に触れて、冷え込んで来た空気にその身を震わせる。

今日もまた何もない日々を迎える為に、夜を生き過ごすのかと思うとそれは余りに退屈で。悲しみさえ感じる。
武田の軍に従事する父はふた月程前、戦に出たきり戻って来ていない。早くに母を病で亡くし、一人娘の名前には父だけが生きる希望であり、唯一の安らぎだった。その父がふた月も戦から戻って来ない、毎日毎日魂の抜けた思いでこうして帰りを待つ。

「まだ起きて居たのですか…?」

「真田殿」


襖の隙間から見えた庭先に、申し訳無さそうに表情を曇らせた武田の将、真田幸村が立って居た。以前父が家に招待した者の中に居た記憶が蘇る。特別親しい訳でも無く、それこそ一度や二度見掛けた程度である。
それが何故こんな夜更けに、口には出さなかったが襖を開けない所からその警戒心が解けない事を物語って居た。微かな隙間から見える幸村は、切なくそれで居て穏やかに笑って居る。


「何か…父に何か、ありましたか」

名前の中に広がった大きな不安は指先を震わせる。精一杯絞り出した声は少し枯れた。

「名前殿…お近くに寄っても宜しいでしょうか」

幸村の唐突な言葉に名前は息を飲み、襖から一歩後ずさる。夜更け、そしてまだ嫁入り前、こんな所を家の者に見られたら何と咎められるか知れない。名前の口が拒否する前に、幸村はこちらへ歩み寄って来る。
縁側に膝を立て、失礼と一言口にすると膝で歩んで襖へとやって来た。

「お知らせしなければならない事があります」

「……」

その声色から、名前は冷たい何かを感じて慌てた様子で襖の隙間に身を寄せた。体が大きく震えたのは寒さのせいじゃない。無言の間に名前の瞳から涙がほろりと流れ落ちた。

「父はもう…戻らないんですね」

「申し訳ありません、私が居ながら」


此の身待つ父の亡骸今何処指折り数え今か今かと

声を押し殺し、胸の張り裂ける想いを涙に託し小さく震える名前を、幸村は障子から手を伸ばし抱き締める。張り裂ける和紙の音色に目を見開けば、襖を隔てて二つの体が身を寄せ合って居た。

「名前殿の父上より頼まれた事が御座います」

「…父、が?」

「これより、名前殿は私がお守り致す…死が2人を分かつ時まで」

苦しそうに吐き出す幸村の声に、彼も悲しみと激しい悔しさを感じているのだと気付くと名前の胸の痛みはどこか風に流されるように消えて行ったような気がした。
父はもう戻っては来ない、帰りを待つ日々が幸村によって呆気なく終わりを告げる。
震える声で小さく笑った名前は障子を破り、幸村の背へと腕を伸ばすと穏やかな声でこう口にする。

これで、帰りを待つだけの退屈な日を過ごさなくても良くなりましたね。

精一杯の強がり。
幸村は微笑む事で返事を返す。そして我にかえり哀れもない障子を見つめると、ゆっくり姿を表した名前に息を飲む。

「日が登ったら…2人で叱られましょうね」

そこには悲しくも儚い小さな肩を震わせながら、楽しく笑う名前の笑顔。


終幕


|

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -