影二つ
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空が遠いな、そう聞いてから暫く。夕日を覆う厚い雨雲が風に流される事無く、地面へ赤い手を伸ばしていた。直ぐ傍から提灯が乾いた音を発する。敵方に、偵察に来ただけのつもりだったがいつの間にか大きな丘を登りきっていた。
身元が知られないよう変装した二人組が、空を見上げながら遠い瞳をしている。

呼吸と連なって揺れる肩がこの丘の険しさを物語っている。


「名前、俺はこう言う時の空を見ると無性に不安になるのだ」


橙色を通り越して、濃く彩られた雲の先はまるで戦場の如く血生臭い気がしている。兼続も同じ様に思ったのだろうか?ふとその言葉に釣られるように視線を上げると、以外にも兼続の口元には笑みが浮かんでいた。
その笑顔が迫るような赤に耐えているような気がして名前は兼続の袖をきゅっと掴む。
どれだけ旅人に扮していようと、身包みを剥いでしまえば戦人。

一度戦いに身を投じてしまえば逃げる事は許されない。


「いつもの直江殿らしくないですな」


わざとらしくそう口にすれば、隣から困ったような笑い声が聞こえてきた。


「あの人にそんな姿、見せないで下さいね…あの人はそう言う所が弱いんですから」


あの人と言えば、顔を合わせれば言い合いになり人と心を通わせる事自体下手くそだが妙な所で敏感になる。そして、気に病み悩んでしまう。普段の様子からは全く想像がつかないが、それを知っているのは兼続達があの人の友であるからだろう。
虫の鳴く静かな丘で、どこからか笛の音が風に乗ってやって来る。楽を嗜む者の音か、妙に音色が不安定だ。

名前はその音色に耳をすませながら掴んでいた袖を離し、大きく歩き出した。足元には兼続の持つ提灯で薄っすらと影が落ちている。
もうじき夜がやって来る、旅人の衣服を脱ぎ捨てて、浪人になる時間が刻々と迫って来ようとしていた。

「まさか、こんな強行突破で偵察に来るとは思わなかったよ」


「…そうだな、だがこれも皆の為」


しっかりと意志の篭る言葉に思わず笑いが込み上げる。先程まで不安がっていた者の言葉とはとても信じがたいのだ。


「直江さんは変わってらっしゃる、あの人が気に入るのも分かるな」


小さく振り向き様に呟いた。
切情、無情、私情、苦情、渦巻いた政の世界は雲の奥にある赤い空と同じ様にどこか、遠く痛々しいような物がある。それでいて、潔く颯爽として。
その中に投じているこの身は、幾重も傷を負いながら理想の為に足を進める。

いよいよ冷たい風が吹き始めた頃。


「気分転換に寄り道するのも、たまには良いものだな…」


「説教されてすっきりしたんじゃないですか?」


「説教、か…まぁたまには悪くない」


今度こそ満面の笑みを浮かべて兼続は楽しそうに笑った。不安定な炎で揺れる影が、遠い楽の音色に踊るよう。静かに差し出された一本の脇差を掴みながら名前は笠をその場に脱ぎ捨てて静かに目を閉じる。

赤の手に掴まれぬ様影二つ不条理にも刃を立てて

旅人の時間を過ぎると、二人の姿は丘を降っている所だった。土を踏み締め、草履を擦りながら進む先には夜の都。


終幕


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