隈倉健吾。さん。

 言われたとおり布団にくるまって雑誌をパラパラと捲った中に、あの見知った顔があった。
 ようやく名前を知られた。

「隈倉、健吾」

 なんとなく名前を口に出して、変な優越感に浸った。

「くまくらさん」

 それにしてもクマ、だなんて。
 ぴったりだ。

 少しだけ、笑う。


 もぞもぞと腕だけを伸ばしてスマートフォンを取り、私は隈倉さんについて調べた。
 そして、将棋の世界の中ではとても有名な棋士であることが、分かった。

 店長は、知っていたのだろう。
 店を訪れるあの人が、隈倉棋士であること。

 隈倉棋士が姿を見せなくなったのは、ちょうど、彼が後一歩で王座に届かなかった試合の後だということを。


「どうしてるのかな」
「すこし、お休みしてるのかな」
「大丈夫かなぁ」


 天井に向かって呟いてみた。
 
 今までは、知らなかったけれど、将棋というのはとても大変なもののようだ。
 プロの試合ともなると何時間も続くし、常に脳みそをフル回転させなければいけないらしい。 だから、隈倉さんはあんなにケーキを買っていたのだ。
 あんなに、あんなにも……隈倉さんが努力した分だけ、なのだ。
 


 ぎゅ、っと唇を噛み締めて、私は布団を飛び出した。

 






 走って厨房に飛び込んで来た私に、店長は怒る暇もなかったようだ。
 私は__私はどうしても、自分で作ったケーキを、隈倉さんに食べて欲しかった。

 もう一度、頑張れると思えるように。

 私は、彼の力になりたかった。



「店長、配達行って来ます!」
「……暗くなる前に帰れよ」





 千駄ヶ谷に向かうべく店を飛び出した私は、明らかに前方不注意だった。




 どん、と、けっこう鈍い音。


「いっ、!」
「おっと」



「ごめんなさい!」
「すまない、怪我はしていないか?」



「はい、大丈夫で_____」





 まるでドラマみたいな展開で、少し笑った。

 私は彼の大きな手を借りて、立ち上がって。

 すう、と大きく息を吸って。




「これ、私が作ったんです、隈倉さんに、食べていただきたくて」 

「その……私みたいな素人が、言うのも、おかしいんですけど」

「つ、次こそは、頑張って下さいね!」


 差し出したケーキの箱を受け取って、彼は、蓋を開けた。
 それで、あの日の少年みたいな顔で、笑った。


「ありがとう。ショートケーキは大好きなんだ」





( 20120115 )
椿様リクエスト「隈倉とパティシエ主」


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