溜息が出ていることを、店長に指摘されるまで、気付かなかった。
接客業なんだから気をつけろ、と本気で怒られたけど、そんなお説教も身に入らない。最近の私は抜け殻みたいだった。その駄目っぷりといったら、厳ついヒゲ面の見た目そのまんまに厳しい店長すら呆れさせるほどである。
この店に「あの人」が初めてやってきたのはけっこう前のことで。
少し身を屈めてお店に入ってきたそのお客さんを見て、私は少し驚いた。
なんせ、大きかった。熊かなんか、ってくらい。格闘技でもやってそうな身体に圧倒された。
そして、怒ったような表情のまま、じっとウインドウの中のケーキを睨んでいた。
『ショートケーキ二つと、あとザッハトルテをお願いします』
『あ、は、はい!』
重々しい渋い声は、キラキラと輝く宝石みたいなケーキに不似合いで、そのアンバランスさは、少しだけおかしかった。
『1560円になります』
『はい』
『ちょうどですね。有難う御座います』
__あ、ちょっと笑った。
『有難う御座いました〜』
ケーキの箱を受け取ったときにパッと顔が明るくなって、それはまるで、小さな男の子みたいだった。
屈まないとドアを通れないくらい、大きな背中なのに。
最初は家族へのお土産なのかな、って思ったけど、違う。
きっとこの人は、とってもケーキが好きなんだろう。
その予想通り、彼は常連ともいえるくらい、このお店を訪れるようになっていった。
多いときは週に一度のペースで、いつも、ウインドウを真剣に見つめて、ケーキを三つ、買って行く。組み合わせはいつも違うけど、ショートケーキだけは必ず選ぶ。
どんなお仕事をしているのか。
名前はなんていうのか。
そんなこと、知らない。
でも、ショートケーキが好きなことだけは、知っている。
「……もう、上がれ」
「え、でもまだ……」
「顔色が良くない。そんな顔で立たれても困る」
まだ定時前なのに、店の奥に追いやられた。
私の元気がない理由を、店長は、知っているのだろうか?
「でも、店長、病気とかじゃないんです、あの、」
私の言葉を遮るように、丸めた何かで店長が私の頭を小突いた。
「これ読みながら布団にでもくるまってろ」
……それは、今までに見たことの無い世界、「将棋」の、雑誌だった。
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