シズカは、ダイゴのその言葉に頷く事は出来なかった。
彼女には、三年間、自分を助け励まし、親切にしてくれたここのトレーナーたちを置いて、自分だけが旅をすることなど、選べなかった。
だが、ダイゴは残酷に、彼女に言葉の刃を衝き立てた。
『明日だ』
『……なにが、ですか』
『明日、君を力ずくでもつれていく。だからそれまでに、ここに居る人たちと別れを済ませておくと良い』
『そんな……勝手に……!』
『聞けよ、ピクニックガールのシズカ』
ダイゴの口調は、打って変わって乱暴なものになり、射殺されそうな視線に、シズカは何も言えなくなる。
『僕はチャンピオンだ。僕の言うことが、聞けないのか?』
この決定的な切り札を、ダイゴは恥ずかしげもなく言い放った。それだけに、ダイゴが彼女を連れて行きたい気持ちは強いのだと、シズカには分かった。チャンピオンという地位をひけらかしてまでも、彼は自分の願いを叶えようとしてくれている。
『早朝に……ここに来るから』
エアームドに飛び乗り、ひらりと飛び去っていたダイゴの後姿を見て、シズカは唇を噛んだ。どうしようもない。
けれど、なにより彼の言葉に胸を高鳴らせる自分がいる。
それが、嫌だった。自分は醜い。最低だ。結局、自分が一番可愛いだなんて。
神様に選ばれなかった私を……選んでくれるなんて。
寝床に戻ったシズカは、ドンメルたちをボールから出した。
「三年間、有難うね」
「私は貴方たちに対して、何も出来なかったね……三年間も一緒に居たのに、何一つしてやれなかったね。ごめんね」
「貴方たちを連れて行くことは出来ない。だって、この旅はきっと、すごく苦しいものになるだろうから。せめて貴方たちには、この……生まれた場所で、幸せに暮らしていって欲しい。人間も、ポケモンも、生まれた場所で暮らしていくことが、一番の幸せなんだから……」
シズカは、彼らが入っていたボールを、半分に割って壊した。
もう、彼らを縛る鎖はなくなる。シズカは、彼らのトレーナーではない。ドンメルたちは、とぼけた顔で、シズカを見つめている。
「さ、どこでも好きなところに行きな」
彼らがのそのそと、後ろを振り返りながら、小屋を出て行くのを、シズカは見られなかった。見てしまえば、後ろから追いかけて、抱きしめてしまうだろう。彼らを、自由にしてやれなくなってしまうだろう。
言われた通りに持っていたポケモンだからって、愛情がなかったわけじゃない。
彼らと過ごした三年間が、空っぽだったわけじゃない。
これで良かったのだと自分に言い聞かせながら、それでもシズカは溢れてくる涙を止めることは出来なかった。
「……ふぁぁ、早いなピクニックガール。今日はどうしたんだ?」
「おはようございます、やまおとこさん」
やまおとこは、早朝のほの寒い道路に既に立っていた人影を見て目を丸くした。シズカは、いつもならもう少し遅い時間に来るからだ。
シズカの足元には、いつも朝散歩をさせていたドンメルが、見当たらなかった。
「……私、今日で最期です」
「一体、なんのことだい?」
「実は、ナギサに戻ることになったんです」
「それは……」
「トレーナーをやめるわけじゃないんです。昨日の、チャンピオン様が、私の旅の手配をしてくれるそうなんです」
やまおとこは、一瞬にして、彼女がドンメルを逃がしたことを理解した。
__ああ、そうか、君は。
やまおとこは驚くどころか寧ろ、ようやくこのときが来たのか、と安堵した。そして、豪快に笑いながら、シズカの小さな頭を、わしわしと撫でた。
「おじさんはなぁ、一目見たときからピクニックガール……いや、シズカちゃんは絶対違うと思っていたんだ。こんなところにいるべきじゃない、ってな。だから、本当に良かった」
シズカの顔が、みるみるうちに歪んでいく。
きっと、何度も笑顔の練習をしたのだろう。賢明に平静を保っていたのだろう。
「俺たちのことは忘れて、ジムリーダーや四天王になってくれ。それで、シズカちゃんの名前がここに届いたら、おじさんたちは嬉しいんだから」
人生を諦めていたやまおとこにとって、彼女は最後の希望だった。
この少女がどこまで行けるのか、彼は知りたかった。
「……やまおとこさん!」
ぼろぼろと涙をこぼすシズカを抱きしめてやりながら、やまおとこは彼女がここへ来た最初の日を思い出していた。
彼女が気丈に振舞いながら、故郷を思い出しては夜こっそりとすすり泣いているのを、彼は知っていた。
規則を破って育て上げていたポケモンたちの輝きを見て、彼はシズカの可能性を感じていた。
彼女の行動は、正しかったのだ。
「この先、そんな泣いて大丈夫か? きっと、つらいことがたくさんあるんだから。強く居ろよ。君なら大丈夫だ」
しっかりとシズカは強く頷き、そして、手紙の束をやまおとこに手渡した。
それは、ここにいるトレーナーたち一人ひとりへ、シズカが書いたものだった。
「達者でな」
「はい。私、頑張ります。約束します。必ず、ここに名前が届くような、すごいトレーナーになるって」
こうして、彼女はもう『ピクニックガール』ではなくなった。彼女は、昔描いた夢に、指先を触れさせた。
( さよならを告げるくちびる )( 20120702 )