赤い光の中から出てきたのは、不思議に、互いに同じ種族の相棒だった。
"ジムリーダーのデンジが しょうぶを しかけてきた!"
"ジムリーダーのデンジは サンダースを くりだした!"
「いけ……ブラッキー!」
彼女が手に入れた、一番最初の進化系。愛情を持って育てていたら、ある朝、小さなイーブイはシズカが寝ている間にブラッキーに進化を遂げていた。
嬉しくて嬉しくて、シズカは一番にデンジに報告をした。
デンジも、同じように喜んで、シズカの頭を撫でてくれた。
"サンダースの 10まんボルト!"
"ブラッキーの しっぺがえし!"
お互いに、小手調べ。威力の高い技のぶつかりあい。激しく、火花が飛び散る。
しっぺがえしは、後攻で食らわせると威力が二倍になる。だから、素早さがそんなに高くないポケモンに、有利な技なんだ。
それは昔、本を見せながらデンジが教えたこと。
"サンダースは じゅうでんを した!"
"ブラッキーの のろい!"
のろいは、ゴーストタイプが使うのと、それ以外のタイプが使うのとで効果が違う。ゴーストタイプが使えば相手に呪いをかけられるが、それ以外は自分の素早さを下げる代わりに、攻撃と防御が上がるんだ。
シズカは、自分の教えをものにしている。それがデンジには、嬉しくもあり、悲しくもある。
"サンダースの チャージビーム!"
"ブラッキーの のろい!"
ブラッキーの体力は、中々減らない。シズカは一撃で決めるつもりだ__とデンジは踏んだ。
「ブラッキーは、とくぼうが高いポケモン」
「っ、」
「サンダースは、とっこうとすばやさが高いポケモン。だから持久戦にはあんまり向いていなくて、速攻で相手を倒す方が、向いている」
朗読するように、シズカはそれを述べた。
「どんなポケモンにも違った力があって、トレーナーはそれを知り、そのポケモンが力を出し切れるような戦術をとらなければいけない。……デンジ兄さんが、教えてくれたこと、私は出来ていますか?」
"サンダースの チャージビーム!"
"ブラッキーの のろい!"
チャージビームのわざの効果のとおり、威力がだんだんあがってきている。次で、決めてみせる。シズカは小さく呟いた。
「……どんなときでも、諦めるな。バトルは最後までなにがあるか分からないから」
「……兄さん」
「油断するなよシズカ。全力で、俺を倒せ」
デンジが不適に笑う。そこに、シズカは三年前、毎日一緒に闘っていた、逞しい彼の姿を見た。
"サンダースの 10まんボルト!"
「っ……ブラッキー! しっぺがえし!」
約束の通り、シズカはこの街を出ることになる。
オーバやダイゴには、実家に寄ることを勧められたが、シズカはあえて寄らなかった。報告するのは、全てが終わってからで良い。そう思ったから。
ショップで道具類を揃え、シズカは、デンジ一人の見送りのもと、ナギサシティの入口へ立った。
オーバとダイゴは二人に気を遣い、「急用が出来たから」と分かりやすい嘘と共に、ナギサを去っていった。
デンジは、バトルが終わってからというもの一言もシズカに対して口を開かなかった。今も、到底見送りとは思えないようなむっつりとした表情で、そこにいる。
気まずさに耐えかねて、シズカは一歩を踏み出した。
「じゃあ……行って、来ます」
「__待て」
デンジは、シズカの華奢な腕を掴んで引き止めた。
「ほら、これ」
シズカの手の平にデンジが乗せたものは、金色に輝くバッチ__ナギサシティのジムリーダーに勝った証を証明するものだった。
「公式試合とは言えねぇけど。……まぁ、旅のお守りみたいなもんだ。持ってけ」
ぶっきらぼうな言葉と共に渡されたそれを、シズカは強く強く握り締めた。
「あの、兄さん」
「なんだよ」
「我が侭を、一つ聞いてもらっても良い?」
「……内容による」
シズカはひと呼吸置き、それからじっと、デンジの目を見つめた。
「兄さんの本音を、教えて下さい。あのとき……旅に反対して声を荒げたとき……兄さんは、私が兄さんに勝てないから、この旅には意味がない。だからやめろって、そう言ったよね。それは、本当にそう思ってた?」
デンジは、あまりに痛いところを突かれて押し黙った。
しかし、これ以上取り繕っても、それこそ意味がないと思い、しぶしぶ重い口を開いた。
「……お前はなぁ。昔っから、危なっかしいんだよ。すぐ転ぶし。すぐ泣くし。何度俺が背負ってやったか分かるか?」
「……返す言葉もございません」
しゅるしゅると縮こまるシズカの頭に、デンジは優しく手を置いた。
「だから、目が離せないんだ。……三年前、お前がここを出て行ったあの日。俺は死ぬほど後悔した。どうして、お前の手をずっと掴んでいられなかったのか。むしろ、俺がお前にバトルを教えなければ、ポケモンを与えなければ、お前はホウエンに行くこともなかったって、そこまで考えた」
「兄さん、でも最初に頼んだのは……」
「黙って聞いてろ。良いか。俺は……俺はお前が、なによりも大切だったんだ。ガキの頃からずっと……お前を守るのは俺の役目だって、思ってたから。それなのに、俺は守りきれなかった。だから、もしお前がナギサに戻ってきたら、今度こそ二度と離すつもりはなかった。お前は、俺が守らなきゃいけない存在だから……。でも、それがどうだ。お前ときたら、俺がどんな思いで三年過ごしたのかも知らねぇで、旅に出るとかぬかしやがって」
大げさにデンジが溜息を吐く。一方のシズカといえば、こんなにもストレートなデンジの言葉を聞くのは久しぶりで、やけに緊張していた。
「あんときの俺がどれだけショックを受けたか分かるか? 次に会ったらどこにも行かせないって決めてたんだぞ? しかも、ホウエンのチャンピオンなんか連れてるし……」
「ダイゴさんは、ただの親切な人ですよ……」
「……絶対、親切だけじゃねぇと思うけど」
「へ?」
「……まぁ、それは良い。つまりだ。俺は、」
デンジの言葉が止まった。
シズカが、デンジの顔を見上げようとした途端、彼女の頭はデンジの胸に押し付けられた。
「見送れるはずがないだろ。……二度と、俺の傍から離すつもりは、なかったのに。言って来いとか、言えるか。ばーか」
シズカは、強くデンジの腰に腕を回した。
__私だって。
__私だってナギサを離れたくない。初めて一人でどうろに立ったとき、本当の孤独を知ったとき、ナギサにずっと居ればよかったと後悔をした。何度も帰りたいと思った。でも自業自得で、これはお母さんとの約束を破った咎だと思った。
デンジの世界の中は、シズカにとって優しくて、暖かくて、なんの心配もしなくて良い場所だった。ここにずっといれば、幸せに暮らせるはずだった。
外の世界を望んだのは、彼女の方。
デンジの言葉が反響して、シズカはまたあの世界が恋しくなる。
「……どうせ、早く行って来いって、出て行ってしまえ、って言われると思ったのに。どうして、そんなに優しいことを言うの。……ずっとここにいたいよ。兄さんの傍にいたい。いつだってぶっきらぼうだけど優しかった兄さんの傍にずっといたいよ」
「……泣いてんじゃねぇよ、ばーか」
デンジは、またいつもの仏頂面に戻っていた。シズカは、それを見て泣きながら、笑う。
「また、馬鹿っていった」
「今まで言えなかった分とこれからしばらく言えなくなる分だ。バーカ。お前は、本当に、バカだよ……だから目がはなせねぇんだ」
__兄さん、大好きなデンジ兄さん。また必ず、戻ってきますから。だから今は、ただ……。
「……行って来い、シズカ」
シズカは、ようやく夢への一歩目__新しい世界へと、飛び出した。
( 世界のはじまり )( 20120724 )