『君が良いのなら、行けば良い』

 その言葉の意味を知るのは、私がイッシュ地方を去って三ヶ月__ジョウトでの生活にも慣れてきたある日、気づけばイッシュ行きの船へ乗り込んでしまっていたときに始まる。
 そう、正に今。
 私はいつの間にチケットを手配したのだろう。仕事にまでしっかりと有給を出して。恐ろしいことに、そこになにか特別な力が働いたのではないかと思うほど、私は自らがした手立てに記憶がなかった。なぜ、こんなことをしてしまったのだろう。

 とはいっても一度出た船は引き返せないわけで、デリバードからの季節はずれの贈り物、くらいに考えれば良いだろうか。
 久しぶりのバトル、そして豪華なディナーとのんびりと船の旅を満喫し、イッシュの中心都市、ヒウンシティに着いたのは朝の六時だった。

「う……朝日が眩しい……」

 船内でシャワーを浴びたとはいえ、ジョウトよりも強い日差しが目に刺さる。時間がまだ早い所為か、ヒウン名物の通勤ラッシュはまだ見当たらない。三ヶ月とはいえ、生まれ育った場所はやはり懐かしさを匂わせる。サザンドラをボールから出すと、彼もまた共に歩いた町並みが懐かしいのか嬉しそうに宙を舞った。
 ヒウンは素敵なカフェがたくさんあるから、せっかくだから寄って行こうと思っていたのに、こんなにも早く着くことは想定外だった。もちろん、朝の六時から営業するなんてポケモンセンターくらいのものだ。
 さて、どうしようか。
 きっと、ギーマはまだ寝ているだろう。加えて寝起きのギーマは出来れば近づきたくない存在と化す。初めてそれを見たときには、いよいよ彼は本物の吸血鬼なんじゃないかなんて思ったものだ。

「サザンドラ、どうしようか。どこか行きたいところはある?」

 サザンドラは3つの頭を同時に振る。とくにはないらしい。
 結局、自動販売機でミックスオレを買い、私の足は船着場のベンチへと落ち着いた。
 船の影はまだ見えず、潮風はぬるく私の肌を撫でる。手持ちの子たちを全てボールの外へ出してやり、ミックスオレと木の実をあげた。思えば、ジョウトに居たときは、とにかく環境に慣れることが精一杯で、彼ら一人ひとりを可愛がってあげる時間はなかったな、と思った。たまにはこういう時間を作らなければ、と一人決心し、それからぼんやりと地平線を眺めていた。

『君が良いのなら、行けば良い』

 ジョウトへ行くことを告げたとき、ギーマから言われた言葉。
 いつも通り意地悪な笑みを浮かべていた。私は、ギーマに反対されるかもしれないと思って確認をとったのに、ギーマの思うことはまた違うようだった。しかし真意が読めない。


 ポー、と汽笛が鳴った。


 後ろには大きな船が佇んでいて、何を言われたわけでもないのに私は立ち上がる。時刻は八時をまわっていた。少し、うとうとしていたようだ。ここからリーグまでは、一時間と少しかかる。ゆっくり飛べばちょうど良いだろう。ギーマが起きていなくても、レンブさんは起きているはずだ。もしリーグが開いていなくても、手前の街で降りて食事でもとれば良い。
 そう判断すると、サザンドラ以外の子をボールへ戻した。

「サザンドラ、ゆっくりで良いからリーグまで飛んでもらっても良い?」

 賢い彼は、私に言われたとおり、ゆっくりと翼をはためかせ急上昇した。





 ポケモンリーグの入口をくぐる時はいつも緊張する。挑戦は二年前に終えたというのに。
 人気は少なく、沈黙が広がっていた。時計の針は九時四十五分を指していたが、それでもまだ早すぎたようだ。

「あちゃー……ごめんねサザンドラ、もう一度飛んでもらって良い?」

 少なからず責任を感じているのかサザンドラはしょんぼりとしている。

「落ち込まないでよー。大丈夫大丈夫。ちょうど、あそこのパン屋さんのクロワッサン食べたかったんだから」

 背中に跨り、サザンドラが翼をはためかせたところで__リーグの中から、人が出てくるのが見えた。


「っ、ちょっと待って! ……ごめんね、良い子だからお前はここで待っていてね」

 サザンドラの背から飛び降りると、私は一目散に、彼の元へ向かった。




「ギーマ!」

「……シズカ?」


 三ヶ月ぶりの彼の姿は、何も変わっていない。人を喰ったような笑い方。華奢な身体。トレードマークの黄色いマフラー。
 彼の目がこちらを向くと、私の鼓動はいつもより早く寿命を刻む。

「っ、久しぶり……」
「どうしたんだ? 忘れ物でもあったのか?」
「そういうわけじゃ、ないんだけど」

 私の帰りがあまりにも早かったから、彼はそう思ったのだろう。でも実際は違う。無意識に、足がこちらに向かってしまった、としか言いようがない。私がそれをどう説明しようかと口ごもると、ギーマはくく、と笑いを漏らした。

「案外早かったな」
「……何が?」
「言っただろ、『君が良いのなら』ってな」
「……どういう意味よ」
「まだ気づいていないのか?」
 
 彼は深く溜息を漏らす。
 そして、その細長い指を、私の唇にトン、と置いた。


「私は構わないさ。君がどこに居たってね。でも君は違うだろう。君が私の傍から離れて、正気でいられるわけがない」

 そして、ふかくふかく__唇を奪われる。私は久しぶりのその感触に、酔わされた。


「君の目が、唇が、足が、全身で私を欲している。そんなのは分かりきったことさ。ほら、今だって、そんなに情欲に燃えた目をされちゃ困るぜ、お嬢さん」


 私は自分でも気づかぬうちに、彼に全てを囚われていたのだ。



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