以前私はこのアラバスタの一角にあるリストランテでコックをしていた。趣味を仕事に生かしたくて、経営学を学んでいた親友に声をかけ、親友は快く私の誘いに応じてくれた。一攫千金とはいかないだろうが、小さくても続けていけるように頑張ろう、と。様々な紆余曲折を得つつも、店は少し軌道に乗り始め、店の売り上げと客の数が比例し、徐々に右肩上がりになってきたころだった。

 親友が神妙に、徐に、話がある、と言ってきたのだ。




「シズカを雇いたいって」
「は?」
「いや、なんかお忍びで来てた金持ちがさ、シズカの料理を気に入ったらしくて」
「いやいやいや……そんなこと言われてもさ、お店があるじゃない、どうするの、無理よそんなの」
「そうだろう、だから俺も断ったんだ。でもその人、どうしても譲らないんだ。それで、お店があるから無理なんです、って言ったんだよ」
「おお、うん、いや当たり前だけどね」
「そしたらさ」

 バサ、と机に投げられたのは……なにこれ、札束?

「100万ベリーの札束だよ」
「え、おお……こ、これが100万ベリー……」

 正直、これでペチペチ頬を叩かれたい、なんて欲望を口に出しそうになったが、親友の鋭い眼光に臆して口を閉じる。親友は溜息を吐きながら、

「これはとりあえず。後日、200束もってくるってさ」
「…いちじゅーひゃくせん、」
「2億だよ」
「にっ、におくべりー……!」
「そう、それだけあればこの店じゃなくてもやっていける額だろう、って」

 俺に対して言ってきたんだ。


「そんな価値が私にあるのかね…」
「……あるよ。…正直に言うと、シズカの腕はこんな小さな店で振るうためのものじゃない。ずっと俺思ってたんだ。このお店を続けるのは楽しいし、俺にとって夢みたいなことだったけど……」
「ちょ、ちょっと待ってよ! ずっとそんなこと考えてたの! まじで!」
「そろそろ俺からシズカを開放した方がいいんじゃないかって、思って」
「う……」


 まったく予想だにしていないことだった。
 ようやく店が上手く行き始めたのに。まさか親友がそんなことを考えていたなんて、全然知らなかった。これって最早親友失格じゃなかろうか。いや知りたくもなかった、むしろ。なにも知らないまま、この小さくも大好きな私たちのお店で、料理を振舞えたらそれでよかったのに!


「ほ、ほんとに…? 本気で言ってるの…?」
「……ごめん、シズカ」


 ごめん、と繰り返す親友の姿に、私ももう何も言えなかった。






 この小さな店は畳むことになり、二億ベリーと引き換えに私はその金持ちの男の家で、働くことになった。親友とはその日を境に連絡を取っていない。月日が経った今は、もしかして親友こそが、私から開放されたかったのかなぁなんて思い始めている。

 チキンライスが出来上がった。


「ドフラミンゴさーん。卵、しっかり焼きます? とろっとさせます?」
「ん……あァ、とろっとさせろ」
「了解です」

 ピンクのもふもふを纏うこの大男こそが、私を雇ったご主人様だった。名をドンキホーテ・ドフラミンゴ。言わずもがな、王下七武海の一人であるこの人は、海賊業よりも人身売買だとか娼婦館の経営だとか法に触れる怪しげな商売に力を注いでいるようだ。
 不当に稼がれた二億ベリーで私の小さな幸せを壊されたのは癪だが、正直なところここで働いて得たお金は、あの店に居た頃の倍以上だ。且つ、労働時間の差と言えば比べ物にならない。

「出来ましたよー」

 多少の理不尽やセクシャルハラスメントがあろうとも、ここが良い職場であるのは間違いないのだ。

「ちゃんととろとろにさせましたが、いかがでしょう」
「あァ、美味いな…相変わらず」
「そりゃ、どうも」
「シズカ、こっちに来い」
「ヤです」

 オムライスを咀嚼しながら、ドフラミンゴさんが指をクイッと曲げる。と、嫌だと思っても、彼の命令どおり私の身体がサクサク動いた。このへんてこな能力こそが、唯一つ職場に対する不満だ。

「フッフッフッ……『ヤです』じゃねェよ、主人の命令には従いやがれ」
「私は料理人です、料理のこと以外に関しては従えませんよ、従者じゃあるまいし」
「ナマイキ言ってんじゃねェ」
「もがっ」

 私の口に突っ込まれたのは彼が使用していたスプーンだった。ご丁寧にスプーンの中に小さくオムライスを作ったのを突っ込んだんだろう、卵とチキンライスのバランスがとれていて、絶妙だった。ていうか我ながら美味いな。




「フッ……おいシズカ、キスさせろ」
「は、」

 本当に突然、ぬう、とピンクのもふもふが迫ってきて、私は慌てて口を庇った。サングラスの下の口がへの字になり、再びくいっと動いた指で、私の手はどかされる。無防備になった唇に、彼の唇が触れた。

 ぬるり、と舌まで入ってきた。

 ほんとなんなのこのセクハラフラミンゴ野郎が!


「っ、」
「こんくらいで息上げてんじゃまだまだだなァ、コックさんよ」
「っ、くそ、アラフォーがピンク着てんじゃねぇよ!」

 つい口が滑った。こうなれば逃げるが勝ちである。私はドフラミンゴの急所に一発入れてから、逃げた。とにかく逃げた。走った。ランナウェイ。後ろからアラフォーのうめき声が聞こえたが、無視した。女の子の唇を容易く奪うもんじゃないことを、これで彼が学習してくれればいいのだけれど。


( 20110711 )
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