夕刻。私はなんだか不思議な気持ちに包まれていた。というのは、その日は珍しくどんよりと薄暗くて、街はいつも通りの表情なのに、私は、まるで私だけが別世界にいるように紙袋を抱えていたのだ。オレンジが転がらないように、大切に。でもスピードを保って。そうして私の周りから人がなくなった。私が裏路地に入ったのだ。

 溜め息を吐きたくなるような暗い路地だった。

 いつもの道のりがとてつもなく長く感じた。先ほどは卑しい視線を、煙草の煙と一緒に寄越された。声はかけられなかったものの、かけられていたら今まで守ってきたオレンジはきっと地面に転がり落ちただろう。私は路地を曲がって、曲がって、男たちから逃げた。
 
 程なくして、人通りの少ない、少し広めの路地へ出た。そしてようやく足を止めた。目的地に着いたんじゃない、ここは"行くな"と散々に言われた場所だったことを、私は行ってから思い出して後悔している。大通りから離れたここは、破落戸がのさばる無法地帯だったのだ。だから行くな、と。お前は絶対行くな、と言われていたのに。

 皮肉なことに薄暗さは晴れて、いつもの国の様子に戻っていた。太陽が熱い。沈んでゆく夕日の美しさは破落戸たちの私を見る視線とアンバランスで、私は後ずさる。

 後ずさる。

 オレンジが零れる。

 それを拾おうとした手を掴まれる。

「なァお嬢さん、こんなところに一人で来ちゃ危ねぇよ……それとも分かってて来たのか?」
「っ、離して、」

 男の台詞に答えるように周りの男が笑う。下劣だった。全てが気持ち悪い。掴まれて立たされて持ち上げられて、紙袋は地面に落ちて中身は砂塗れ。

 ク、と名前を出そうとして止めた。
 私は彼と喧嘩していたのだった。
 彼が"そういう"店から出てきたのを見て、やっぱり私なんかは相手にされていなかったのだと、一方的だったのだと理解して、家を飛び出してしまったのだった。

 二人までなら負けないけど、こんなに大勢には勝てっこない。改めて彼が、私がここに来るのを禁じた理由が分かった。でも彼は分かっていたのかも。いつか私がここに足を踏み入れることを。そして彼に助けを求めながら絶望を感じることを。
 声には出ないのに心で何度も念じていた。


 "クロコダイル"




「お嬢さん、かーわいいなァ……ちょっとこっち来てくれよ…大丈夫、怖いことはしないか、………ら、」

 不意に私の手を掴んだまま男が硬直した。私は慣れた葉巻の匂いに気付いて、いつの間にか私の影を踏んでいる存在を理解した。

「悪ィな、コイツはおれの女なんだ」




・ ・ ・




「なんでンなところに行ったんだ」

 低く唸られて私は押し黙る。強く腕を引かれてあの路地を抜けた後、私は自分でも驚くほどに怖かったらしい、腰が抜けて地面にへたり込んだ。そんな私に舌打ちをしながら背中に乗ることを促したのはほかでもない、サー・クロコダイルその人だった。

 苦い顔をしたまま、クロコダイルはもう一度舌打ちをする。

「そんなにおれから逃げたかったのか?」
「そ、それは違うよ…!!」
「じゃあなんだ、いつの間にか入ったってか? テメェこの街何年間住んでんだァ」

 畳み掛けるように言われ、私はクロコダイルの背中に思い切り伏せた。
 

「正直に言う」
「あァ」

「クロコダイルに来て欲しかった」
「…あァ」

「私より綺麗な人と居るのを見て、クロコダイルは私と釣り合わないなって思ったの…それで、その…店から、出てくるのも見て」
「……あれは付き合いだ」

「…ごめんなさい」 知らず知らずのうちに私はクロコダイルの肩を強く握っていた。彼は仕事中だったことだろう。もしかして助けに来てくれたなんて自惚れてしまう自分が嫌いだ。そして迷惑をかけてしまったことと、もう完全に私は嫌われてしまっただろうということが、つらかった。

「…テメェはアホか」
「う……はい」
「いちいち言わせんな」
「………なにを?」

「テメェはおれの女なんだよ。自覚しろ。アホ女」

 ぶっきらぼうに投げられたその言葉に、現金な私は一度驚いてから、クロコダイルの背中に寄りかかった。葉巻の匂いが好きだった。私とクロコダイルの影は重なっていた。今日は覚悟しとけ、と聞こえて、夕日じゃなく私の頬が赤くなったのを、振り返ってクロコダイルは気分が良さそうに見ていた。



( シルエットを踏むあなた )( 『R50』様へ! 有難うございました! )
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