シズカに出会ったのは、病院へ薬をもらいに来たときだった。その頃の俺は、まだ精神が不安定なままだったからだ。
 薬で押さえつけるのは良くない、と眉を寄せる後輩に無理やり押し切って、膨らんだ袋を受け取ったいつもの日。


 一部の奴しか持っていない鍵で施錠された屋上へ向かう階段、そこでシズカは倒れていた。というか、すやすやと眠り込んでいた。どうやってここに入り込んだのか分からないままとりあえず抱き上げ、ナースステーションへ告げると悲鳴のような礼が飛んできた。どうやらこの少女は、病室から逃げたらしい。必死で捜索されていたそうだ。

 腕の中で目を覚ました少女は、顔も知らないはずの俺を驚くこともなく、「誰が抱えてくれてるんですか?」と尋ねた。
 少女の開かれた眼を見て、一瞬で理解する。しかしそれなら尚更、どうやってあの扉の中へ入ったのだろうか。


「シズカちゃん、ラムダさんという方が貴方を運んでくださったのよ?」
「ラムダさん、ラムダさん…どんな人ですか?」
「悪いな、ただのおっさんだ、お譲ちゃん」
「ラムダさん、どうも有難う」

 にこりと笑った少女は、驚くほどに軽かった。

「病室はどこなんだ、譲ちゃんよ」
「306号室。ラムダさん、分かるんですか?」
「分かるさ。どうせだからこのまま送らせてもらうぞ」


 すみません、と頭を下げる看護婦さんになんてことはない、と返しやがて306の文字を見つける。
 ガラガラとドアを開け、座っていたムッとした表情の白衣の青年(この少女の主治医だろうと踏んだ)(それは大正解だったわけだ)が、これまた顔見知りだったのに気づくと、可笑しくてなんだか笑いが漏れてしまった。そしてそれに気づいたのであろう青年の恐縮したような表情への変化に、これまた笑ってしまった。



「私、目が見えないんです」
「ああ、分かるさ。これでも昔はここにいたからな」
「そうなの? じゃあ…どうして辞めてしまったんですか?」
「まぁ、定年退職みたいなもんかなぁ。」
「嘘。だってラムダさんまだ30代でしょ? 声で分かる」
「あはは、鋭いな。まぁ…そうさな、妻を亡くしたんだ。この病院じゃないが。でもやっぱり病院に四六時中はいれなくなってな、それでだ」
「私、悪いこと聞いちゃいましたね。ご免なさい」
「や、別に大丈夫だ。もう忘れていくもんだからなぁ……」


 こうして、俺とシズカは出会い、やがてシズカの散歩へ付き合うこととなった。歩きたい、と言うから手を握って車椅子から立ち上がらせてやると、それはもう喜んで走り回って、転んで怒られたのは俺の方だった。

 シズカは春の陽気が好きなのか、毎日のように外へ出たがった。不思議なことに、病気に蝕まれていくシズカの身体は、俺との散歩を始めてから進行が遅くなったらしい。
 このままずっと続けて欲しいと頼まれ、断る理由もなく昼休みを利用した病院通いは続いた。



 やがて季節が変わり、冬が近づくにつれ、毎日のようにシズカが呟いていた言葉を俺は今でも覚えている。

「雪が降れば良いのになぁ…」

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