真黒な墨が白に吸い込まれていった。その黒が、ゆっくりと、けれども確実に、あるべき場所に動いていって、半紙に命が吹き込まれていった。
 普段浮かべている妖しげな微笑も、見えない横顔に少しだけドキリとした。そしてそれを、彼は良く見ている。マツバは。どうして、下を見つめてるのにこっちが視線を感じるんだか。腕がようやく持ち上がって、その一連の動作はいたく綺麗だった。そして、ようやく彼が本当にこちらを向いた。

「そんなに見られると困るなぁ」
「こっちの、台詞なんだけど」
「どうして? 僕は見てないよ、だって半紙を見ていたじゃないか」
「視線を感じた」
「けれど僕はこうして、筆を動かしていたわけだよ」
「うん、もう、良い。私が譲るよ。話を戻すと、私に見られているのは嫌だった?」
「や、そんなことはないよ」

 譲るということを、円滑に物事を進めたいから、私はよくその道を選ぶ。時折後悔はすることはあるけれど、それでもやはり楽なことのほうが多い。
そういう私のような人間は"良い人"だとか認識されるようだが、誰かがやらなくてはいけないことをやるだけで、"良い人"と呼ばれるならば簡単なものだと思わないのか。自分もそう呼ばれたいと思ったりはしないのか。もし興味がないのであれば、その"良い人"というのは大概褒め言葉と呼べないと思う。これは私が捻くれているだけだと思うが。

「全く達筆だね、憎たらしいくらいにね」
「そりゃあ叩き込まれたものがあるから、君だって十分達筆だったよね、確か」
「私は軽くかじった程度だから。良いな、そういう風に長い間の積み重ねというのは後悔しても遅いことだから。時間は巻き戻せないからね」
「……シンオウに行けば、
あそこには時を司る神がいると聞いたけれど」
「それで時間を戻したって、そのあと同じ私に戻れる? 今ここにいない私なんて考えられない」
「や、それは…そうだね。うん、僕だって考えられないさ」
「マツバは、優しいんだね。私はとんだ捻くれものだから素直に言葉も選べない
はは、本当は、ね。私は」
「うん、分かってるよ」

 分かってる、と繰り返して、そのままゆっくり頭を撫でられた。

「子供扱い、だ」「いや違うって」


1.25( 0530移転 )
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -