まだシズカが少女そのままであった頃の話である。クロコダイルは小さなシズカを膝に乗せ手を弄ばせていた。シズカはクロコダイルの言いつけどおり、本を読んでいた。それは年齢にそぐわないような、小難しい表題のつけられた本だったが、時折首をひねらせながらもシズカはページを捲る。クロコダイルは勉強の一環として、とにかく本を読ませた。分野問わず、教養の本から物語まで。シズカがまだ文字を読めなかった頃は、クロコダイル自らが読み聞かせをしていたのだが、今となってはそれも必要なく、世にも珍しい光景は見られることは無い。
「ねぇ、サー」
「あァ?」
「わたし、ずっときになってたことがあったの」
「なんだ」
栞を挟んで本を閉じると、丸い目でクロコダイルを見つめるシズカ。
「サーはどうして、おふろがきらいなの?」
「……それか」
「うん。ずっとずっときになってたの。サーは、おふろ、いやそうなんだもの。おふろきもちいいのに」
これは、彼、サー・クロコダイルは、悪魔の実…しかもスナスナの実を食べた故に、弱点が水であるということで。一緒にお風呂に入っているクロコダイルがあまり湯につからず、シャワーですら嫌そうな素振りを見せていることを、シズカは気にしていたのだった。
自分が海賊であることはシズカに話していたが、悪魔の実については、そういえば話していなかったな、とクロコダイルは気づいた。
「シズカ、それはなァ」
「うん」
「……いや、今日は良いな」
「え、なんでー!」
「難しい話なんだよ。今日はよく勉強しただろ、だから良い。明日だ」
「…わかった」
唇を尖らせ不機嫌になるシズカの頭を撫でる。
正直、言い訳でもあった。
クロコダイルは、自分が人間離れした化け物であるということをシズカが知ったとき、これまでと同じように自分を見てくれるのかどうかが、怖かった。
褒められて少し機嫌を良くした最愛の少女を膝から下ろすと、クロコダイルはシズカの目をずっと見つめる。それから、
「お前は、俺のことをどう思ってる?」
本心からの言葉だった。
「サーのこと? だいすきだよ! だってシズカをたすけてくれたのはサーだもん!」
「…そうか」 明日、あの話をしても、彼女は同じ表情と声音で、同じ事を言ってくれるのだろうか?
クロコダイルは何も言わないまま、小さな少女を抱きしめた。
後に七武海となる男が、初めて不安を見せたのがこんな少女であろうとは、誰も思わないだろう。最もクロコダイルにとって恐れるべきなのは、彼にとって彼女がこんなにも大きな存在になっているという事態、なのだが。
( おすな? )
( …お前、怖くないのか、 )