よく、熟年夫婦みたいだよね、と言われた。そういう、穏やかな雰囲気しか、私たちの間になかったんだと思う。誰よりも思慮深く、そしてちょっと変わっている私の旦那さんは、『地球が終わってしまう』なんて子供の落書きみたいな、無邪気な、残酷な、そして唐突な知らせに眉一つ動かさなかった。
 馬鹿な騒ぎを起こす人もいた。国に喧嘩を売るものもいた。おかしくなって、川に飛び込んだ人なんて数え切れない。何処へ逃げようとしたのか、ガソリンは売り切れていた。もう、どうしようもないのだ。例えお金を持っていようと、訓練を受けていない一般人が地球を出る術はない。そう、これが地球の化学力の限界で、私たちは地球と運命を共にするほか、なかった。


 
「ただいま」

 彼が、帰って来た。

「お帰り。早かったね」
「いや、帰されたのだよ」

 脱いだコートを受け取り、いつもの通りハンガーに通して壁にかけた。もう、このコートを彼が着ることは決してなくて、そのことを思うと少しだけ指が震えた。ネクタイを外す、その仕草も、見納めだ。

「帰されたって? なんで?」
「『緑間先生は新婚なんだから』とのことだ。……まぁ残っている者は殆どいなかったが」
「……そっか。今日まで、お疲れ様」

 何気なく口に出した言葉に、彼がハッと息を呑んだのが分かった。けれど、何も言わなかった。私はキッチンで夕食の仕上げをして、ダイニングテーブルに運び、彼もご飯をお茶碗によそって、二人で腰掛けた。

「いただきます」
「はい、いただきます」



 最後の夜だというのに、まったく、味気ない。

 

 けれど、この変わらない日々を、私も彼も求めていた。彼が、仕事に行き続けることを決めたのもそこからだった。彼の言う、『人事を尽くす』ということ。心残りがないのかと聞かれれば頷くことはできないけれど、全て叶えようとすれば、なにか、間違ったところへ踏み込んでしまいそうな気がして、最後まで正常な人間でありたいというおかしな考えを、地球最後の日まで守ってきた。
 それが、合っていたのかどうかなんて、分からない。

 彼が、徐に口を開いた。

「悪いな」
「……何が?」
「付き合わせてしまったことだ」
「何に?」
「やりたいこともあっただろう、お前も」

 ようやく、彼が、この数日間を言っているのだと分かった。

「私だって、そのままで良いと思ってたよ。だって、真ちゃんとこうして生活出来る今が、私にとって一番幸せだから」
「……そうか」
「うん」
「……有難う」
「どういたしまして」

 もう、時間は迫っているのだと思う。テレビをつけたらカウントダウンでもし始めているのだろうか。あと二時間……いや一時間もないかもしれない。ゆっくりと、確実に、死がやってくる。私と彼の存在は、その瞬間、打ち消される。

「私はね、真ちゃん」
「なんだ」
「死ぬことは怖くないの」
「……そうか」

 なぜか、彼の口元が柔らかく緩んだ。

「なんで笑ったの?」
「いや、さすが俺の選んだ女だ、と思ったのだよ」
「……照れるよ、真ちゃん…………あのね、真ちゃんはお医者様だから分かると思うけど」
「ああ」
「死ぬことは誰にでもあることじゃない」
「そうだな」

「誰にでも訪れることが、ただ、みんなのタイミングが揃っちゃったってだけで。だから何も怖くない。ある日突然真ちゃんが死んで、一人取り残されるより、全然良いの。人間はね、未知が怖いんだって。みんな、死を知らないの。知らないものを目の前に突きつけられて、それで怯えてる。誰だっていつか迎えることなのに、遠すぎて、直前にしか、気付かない。それってすごく贅沢なことじゃない。神様からのプレゼントなのかなって、思ったりした」




 彼と一緒なら何も怖くなかった。私は彼の胸に身体を預けた。消毒液の、不思議な香りがした。どうしても染み付いてしまうものなんだと、言っていた。心臓が行き急ぐ。暖かい、とても……。悲しくなんてないのに涙が出る。本音を言えば、もう少しだけ貴方といたかったなぁ。二人で選んだ部屋にはまだ思い出が足りなくて、薬指のシルバーが霞むまで貴方を愛していたかった。彼の指が私の髪を撫でた。満ち足りて、溶けていきそうなキスをされる。

 ほどける。


感触は残り香に


「ねぇ、愛してる、ごめんね、」



 

//「世界が終わる夜に」様へ。有難う御座いました。
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