「貴方が悪いんじゃなかったの」

 始まりの合図はどこだっただろう。僕には聞こえなかった。分からなかった。
 彼女の出したコーヒーの味は変わっていなくて、それは、僕に、安堵を与えたというのに。
 なんだろう、この、空気は。

「そのままで良かったの。でもね、ごめんね……ああ、難しいなぁ……。ポケモンのことを愛しているレッドが好き。好きよ。大好きだった」

 彼女の口から紡がれる言葉ひとつひとつが、ここでは、かき消されない。ここはシロガネ山の中じゃない。ここは暖かい。彼女のこころみたいに、暖かくて、僕は、思い出すかのようにこの暖かさが愛しくなる。
 山を駆け下りて雪塗れになった僕の髪の毛を払いながら、笑って、「お帰り」と言ってくれる。

「レッドは何も変わらないね。変わったのは私の方だね」

 堪えきれず彼女の目から宝石みたいな雫がぽろぽろと零れだして、僕はどうしていいのか分からない。

「貴方が、いてくれないと、だめになっちゃったの」


 初めて見た彼女のなみだ。


「でもレッドは違うよね。レッドは私がいなくても生きていけるよね」
「……そんな、ことは、」
「だいじょうぶ。レッドは、大丈夫なの」
「決め付けないで」
「……ふふっ、」
「どうして泣いてるの」
「矛盾してるの、わたし。レッドには私よりバトルを大事にして欲しい。だってそういうレッドを好きになったんだもん。でも、レッドの一番にもなりたかった」




 ああ、これは、




「おかしいよね。だからなの。貴方がいないとだめな私なんて、貴方にとって必要ないの」




 これは、別れ話、だ。




「……ごめんね」




 部屋の中はどんどん冷たくなって、マグカップの中のコーヒーも冷め切っていた。ぐるりと部屋を見渡すと、二人のものばかりが目に入ってきてしまって、僕まで泣きそうだった。

 一人で寝室で眠るとき、彼女はどんな気持ちでいたのだろう。
 二人掛けのソファに一人で座って、何をしていたのだろう。

 全然減らない冷蔵庫の中身。一人分のコーヒー。少しの洗剤で済む洗濯物。高いものを取るための踏み台。

 それら全てが彼女を追い詰めて、今を迎えさせたことは顕著だった。
 もう、どうにも変えようがなかった。
 僕は愚かだった。



「レッドにもらったもの、全部、忘れないよ」
「……うん」
「貴方のこと、忘れない」
「……っ、」
「ごめんね、……ごめん、……ごめんなさ、っ、」


 彼女の笑顔が好きだった。
 冬の厳しさを溶かしてくれるような暖かな笑顔が。


「笑って」
「……」
「最後だから、笑って欲しい」



 彼女は頷いて、今までで一番綺麗に、笑って、それで。




多分わたしがだめになりそうだった夜に


「曰はく、」様へ。有難う御座いました!
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -