彼はとても寂しそうに笑うから、私は放っておけなかった。ここでの仕事は終わり、もう愛する彼が待つカントーへと帰らなければならないのに、手配した電車のチケットをいつの間にかキャンセルをする自分がいた。
 『データの取り忘れがあった』だなんて、言い訳して。そこに後ろめたさはなかった。彼に関してはいつも連絡もなしに気まぐれに帰っていったのだし、長いときは一年も帰らなかったこともある。そもそもドライで不思議な関係なんだ、私たちは。
 心置きなく、この恵まれた青年と向き合ってみたいと思った。


 相棒のウィンディを出し、りゅうせいのたきへ向かってもらう。ここのサンプルは全て採取したけれど、目的はもちろん彼だ。昨日彼を最後に見たのも、この場所だった。彼は出会ってから、曖昧な好青年の笑みを絶やさなかったけれど、時折見える影は、私に興味を抱かせた。
 中へ入り、どこか冷たいこの洞窟の中を進んでいく。やがて最奥の部屋へ辿り着いた。足跡とウィンディの気配で分かったのか、彼がすぐさま振り向く。ボールを構えていた。

「っ、シズカさん……」

 彼は驚いている。私は今日、イッシュへ帰ったはずなのだから当たり前だ。それにしてもこの動揺の仕方には、取り繕った好青年の皮が剥がれた部分が垣間見えた。

「……時折、バトルを挑まれるんだ」
「非公式の?」
「そう」
「受けてあげるの?」
「そうだよ」
「それを……ごまかすために?」

 __影だ。
 これが違和感の正体。恵まれた家で育てられ、トレーナーとしても輝かしい道を歩み、人生の成功者といえる彼の__誰も、気づかない、すがた。
 胃から競りあがってくるものを必死で押さえつけながら、私の科学者としての性分は、その光景への興奮を抑えられない。アンバランスな感情が私の声を上ずらせた。

「電車はキャンセルしたの。私、貴方ともっと話がしたいと思って」

 怯えないで。全てを見せて。そうしたら、私の脳はとろけそうなほどに満たされる……。

「大丈夫。誰にも言わないわ。だから、教えて、貴方のこと」





 傷だらけの、ぼろ雑巾のような姿になったタツベイが積み重なっている前で、ダイゴは、その整った顔に真っ青な線を幾本か走らせて、子供のように震えていた。天井から落ちる雫の音が、いやに私たちの間で大きな音を立てる。



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