「ねぇ、桐山くん。開は私のこと好きじゃないのかなぁ」

 俯いた彼女の顔に、桐山はひどく戸惑った。よくよく噛み砕いたのち、彼女の言葉にも。
 場所は千駄ヶ谷から少し離れた、そう、いつもの川原で、彼女は小さな身体を丸めて草の上に座っている。彼女はどう見ても二十歳は超えている見た目だから、こうしているところをあの三姉妹に見られたらどうしようかと、桐山は変に緊張していた。しかしそれもぼうっと揺らめく水面を見ていれば、溶けてなくなったのだけれど。
 (島田さんに見られなければ、良い話だ)


 彼女は、島田開八段の、少し年の離れた恋人だ。島田にくっついて将棋会館に来ている姿を桐山は何度も見ている、そして島田がそれをあまりよく思っていないのだろうと思わせる溜息を吐くのも。彼女はあくまでとても無邪気で、純粋だった。それはこの場所に似つかわしくなかった。ここは、年中煙が蔓延している。どろどろとしていて、息苦しい闘いが、ずっと行われている。
 島田はそれに彼女を巻き込みたくないのだろう、と桐山は推測していた。

 話がある、と彼女が言ってきたのは一局指し終わり、将棋会館を出たときだった。わざわざ島田が来ないようなこの場所を指定したのも彼女だ。最初はこの町の空気にはしゃいでいた彼女も、今は揺れる水面を見つめている。
 そして徐に口を開いて、言われたのが先ほどの台詞。

「あの……えと……なぜ?」
 意味は分かったものの、どうして彼女がそんなことを言うのか、桐山は分からない。
「あ……ごめんね、急に呼んでこんなこと言って……」
「あ、や、」
「あのね」
 いつもは騒がしいほどの彼女の声は静かで、その横顔は別人のようだった。
「開は、ぜんぜん私に怒らないし、いっつも困ったみたいな顔で笑うだけで……それって、私が開に迷惑かけすぎて、呆れてるのかなって」
「……はあ」
「将棋会館についてこうとすると、嫌そうな顔するし、」

 それからも彼女は、島田に嫌われたと思った要因を話し続けた。しかし桐山にしてみればそれは、島田が優しすぎる人であることを、更に知らされただけだった。無条件の愛や優しさは怖い。だから、彼女は島田を疑っているのだろう。人がアガペーを持つことなど出来ないからだ。
 全て話を聞き終えてから桐山は心底島田に同情した。彼の愛は、まったく彼女に届いていないに違いない。

「シズカさん、あの、多分なんですけど」
「……うん」
「島田さんは、シズカさんのこと、ちゃんと好きだと思いますよ」
「……どぉして?」
「えっと……客観的に見て、いくら島田さんでもそこまでは優しくないです。きっと、恋人、であるシズカさんにだけなんだと思います。嫌いな人に、そんなこと出来ないですよ」
 恋人、という言葉になれていなくて、桐山の舌が少しもつれた。けれど、シズカは驚いてから、すぐに笑顔になった。笑うと、向日葵のようでますます可愛らしい。きらきらとした笑顔が、彼女が違う世界の住人であることを桐山に思わせる。


「ありがとう、桐山くん」

 彼女は携帯に向かってしばらく話したあと、桐山を振り返った。もちろん彼女が話していたその相手を、桐山は知っている。しかしなぜこんなにも自分の胸がズキズキと痛むのか、その理由を、桐山はまだ知らない。


( それは叶わない恋への警告のサイン )

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