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09

11が神羅に入社して数ヶ月が過ぎた。
忙しない業務にも慣れ、新人の日課であるコーヒー配送の支度を終えて、一息つく。
11が所属しているのは、神羅ビル内にある社員食堂を管轄する栄養調理課だ。
社食のメニュー提案、管理、それから食材その他諸々の発注等々、ただ調理するだけに非ず仕事は多義に渡るもので、 ”店を持つ” という夢を持っている11にはこの上ない職場である。
もちろん11自身調理場に立つこともあるにはあるが、それは新しいメニューの考案だとか、こうしてコーヒーの準備をする時くらいであり、社員食堂の営業時間外のこと。
調理業務は数名の調理専門社員とパートさん達によって賄われている。
早朝のパートさん達の調理支度の賑わう厨房に向かって行ってきますと声をかけ、11は食堂を後にした。
一般社員の出社時間はまだ少し先であるこの時間帯は宿直していた社員の姿がポツラポツラと見える程度で静かなもの。
そんな静かな廊下を11は配膳用のワゴンを押して進む。
ワゴンの中には先ほど用意したコーヒー入りのポットが入っている。
これを簡易給湯室のある部署へと届けるのが11の朝一番の仕事だ。
慣れないうちは広いビル内、果たしてここはどこだろうかと迷いもしたが、今はもうそんなことはない。
従業員用エレベーターのボタンを押して、上階から順に配って行く。
昨日使用したポットを回収して、新しいものと取り換える。
単純だが、ポットの重さも然ることながら中身が満タンともなればなかなかに力仕事だ。
入社した当初は筋肉痛に悩まされもしたが、この数ヶ月のうちにそれもなくなった。
ともすれば少しばかり筋力が付いたかも知れない。
二の腕引き締めるには好都合かも、などとそんなことを思いながら11は次々と部署を巡りポットを設置していく。
順調にポットを入れ替え、始めた頃より徐々に軽くなりつつあるワゴンを進めて着いた次の部署は総務部調査課。
執務室を通り過ぎて隣の給湯室へと足を向ける。
給湯室には基本扉はなく、人が居るのか居ないのかは一目瞭然で、そのほとんどはこの時間帯は不在なのだが、ふと黒い衣服が入口より覗くのが見えた。
11は入口脇の壁を軽くノックし、声をかける。

「おはようございます」
「あぁ、君か。おはよう」

とはいったものの、もうそんな時間だったか、と腕時計に目をやったのは調査課所属のツォンだ。
涼しげな面立ちに表情からは読み取り難いが、結わえた髪がやや崩れかかっている辺りに疲労が窺える。
また徹夜だったのだろう。
そういえば初めて会った時もそうだったと、11は思い出す。
早朝の、人の居ない廊下をいつものようにワゴンを押して、いつものようにポットを取り換えようとこの給湯室に入った。
人影もなく、いつものように誰もいないものだと思っていたのだが、丁度入口から死角となっていたところにツォンは居た。
だが死角であり、入ってきた11はツォンに背中を向ける形となっていたのだから存在に気が付かないまま11は作業に取り掛かった。
新人か、と思いながらも作業を始めた11にわざわざ声をかける必要もないだろうと思ったツォンの判断。
ふたつの要因が重なった結果、ポットの入れ替えを終えた11が戻ろうと体を返したところでツォンの存在に気が付いた。
後はお約束である。
まさか誰かがそこに居るだなんて頭の隅にもなかったのだから、驚きのあまりに11は叫び声をあげてしまった。
その声に反応したのか、隣接する執務室から人が慌ただしくやってきたのはそう遠くもない出来事なのだが、11にとってはなんだか懐かしい。
例えそれが赤い髪の男にロッドを突き付けられ、強面のスキンヘッドにサングラス越しに睨みつけられたものだとしてもだ。
そんな出来事があって以来、ツォンは給湯室に赴いている時はなるべく入口付近で姿が見えるように気をつけているのだが、それは11が知るところではない。
そして度々顔を合わすツォンと共に、今やあのふたりとも気軽とまではいかないが、親しくさせてもらっている。
徹夜明けの頭に図らずも響いた声音に顔を歪ませたツォンには申し訳ないことをしてしまったとは思うが。

「もう、そんな時間なんですよ。お疲れ様です」

着々と作業を進めながら11は返す。
初めて会ったあの一件以来、早朝度々こうして顔を合わすことのあるツォンだが、つまりはそれは徹夜明けということだ。
調査課というものは一体何の調査をしているのか、忙しい部署なのだなと思いながらも ”調査” という名が付いている以上きっと機密事項に関わることなのだろうから内容を聞くなんてことはしたことはない。
ただ、疲弊している様子は気になるものだが……。
空になったポットを床に置き、置いてあった台を綺麗に拭きあげて新たなポットを設置する。
コンセントを差し込んで、保温のスイッチを入れれば完了だ。
そしてシンク脇に置かれたカップをひとつ手に取り、11はそれに設置したてのポットからコーヒーを注いだ。
湯気と共に芳ばしい香がたつ。

「はい、どうぞ」

11はツォンにカップを差し出す。
部署は違うし、給仕は仕事内容に含まれてはいないが、これくらいのサービスは構わないだろう。
いつもはしないことだけれど……と、あまりにも疲弊しきったツォンの様子が11にそんな行動を起こさせていた。
カップを受け取りツォンは11を見る。

「徹夜明けの疲れた体には神羅特製コーヒーが一番!ですよ」

体の内側から温まってしっかり休んでくださいね、と朗らかに笑む11にツォンは思わず目頭を押さえる。
年の頃は、あの娘とそう変わらないだろう。
しかし、立場が違う。
あの娘は監視対象者で、この娘は同じ企業に勤める者。
わかっている。
だからあの娘には冷たくされてしまっているのだということは肝に銘じてわかっているのだが、どうもこう、同じ年頃の娘というだけなのに不意に優しさを齎されると日々の苦労が思い出されて目頭が熱くなってしまった。

「え、あれっ、ツォンさんっ?」

年上の、それも男が急に目頭を押さえ始めてしまって11は思わず慌ててしまう。
何か失礼でもあっただろうか、いや、失礼があったならこんな態度はおかしいだろう。
いやいや、それよりもまずだ。
こういう時にはどうすればいいものか。
ハンカチを差し出した方がいいのだろうか、それとも見て見ぬ振りだろうか……しかし見て見ぬ振りは流石に目の前に居るのだから無理があるだろう。
かといって、やはり何をしていいものかわからずに11はオロオロ狼狽えるばかりだ。
そんなふたりの様子をニヤニヤと見ていたのはツォンと同じく調査課のレノである。
彼もまた徹夜明けであり、そろそろコーヒーの入れ替え時間だろうと執務室から出てきたところだった。
11がカップを手渡してすぐ、ツォンが涙を堪えるかのように目頭を押さえた。
事情を知るレノからすれば涙ぐむツォンの心情を察し同情せざるを得ない状況なのだが、そんな事情を調理課の11が知っているはずもなく、理由もわからず狼狽えている姿はなかなか面白いものだ。

「おぉっとー。ツォンさん泣かせるなんて流石11だぞ、と」
「あぁあ、レノさんっ」

助け舟が来たと言わんばかりに懇願するかのような視線を向けてきた11にレノは苦笑を漏らす。

「知ってるか?いい女の条件は、男を泣かせることができるヤツなんだぞ、と」
「だったら別にいい女じゃなくて構わないいんですけども……ってそうじゃなくてっ」
「すまないな、11。これは別に君のせいではないから、気にしないでくれ」

ようやくほとぼりが冷めたのか、やや目を赤くしながらもツォンがそう声をかけてきた。
だが、そうは言われても目の前で涙ぐまれてしまっては気になってしまうもの。
11は心配そうにツォンを見上げるのだが。

「ツォンさんがそう言ってるんだから、気にするなよ、と」

心配する11に追い打ちをかけるようにレノがそう紡いできた。

「えぇ……でも……」
「11、時間は大丈夫なのか」

まだまだ配送はあるんだろう、と声をかけてきたのはルードだ。
コーヒーを取りに行ったまま戻ってこないレノの様子を見に来たのだが、目頭を押さえるツォンにニヤニヤとしながら11に話し掛けているレノという何とも珍妙な光景に出くわし様子を窺っていた。
11がここに居るということは、コーヒー配送の時間帯ということだろう。
あぁ、また徹夜をしてしまったのかと思いつつ、朝という時間は忙しなく過ぎ行くものだし、何となく場の空気を読んで、そう声をかけてみたのだが。

「あ、そ、そうでした!」

ルードにそう声をかけられた11は、急いで床に置いた空のポットと布巾を抱える。
それからもう一度、ツォンを見上げた。
ポーカーフェイスが常だと思っていたツォンが、不意に涙ぐんでしまうほど疲弊しているだなんてきっと辛い任務に違いないのだろうと11は思う。
しかしだからといって11がどうこう出来るわけではない。
出来るのは、せいぜい言葉を交わすくらいだけで。
それでも、烏滸がましいかもしれないが。

「あの、ツォンさん。私みたいな小娘が言うのも何なんですけど……あまり無理しないでくださいね」

それでは失礼します、と丁寧に頭を下げて行った11をレノは手を振り見送った。
ツォンはと言えば、そんな11の言葉を受け、再び目頭を押さえている。

「……ツォンさーん」
「聞いたか、レノ、ルード」

呆れるレノに構いもせずに、ツォンは切々と暖かみのある者と言うのはああいう娘のことを言うのかもしれないと説く。
神羅に入社して以来、もうどれほど通っただろうか。
幼いうちはまだ可愛かった。
子供の言うことをいちいち気にしていても仕方がないという余裕もあったのだろう。
しかし監視を続けて早幾年。
あの娘も年頃となり、それなりに口も達者になったわけだが、そのお陰で齎される言葉は辛辣なものばかりだ。
見目はなんとも可憐に育ったというのに……。
いや、見た目は関係ない。
立場がそうさせてしまっているのだろうことはわかってはいるし、ツォン自身のやり方にも問題があったのかもしれないが……。

「ルード。今日のツォンさん、ちょっと使い物にならないかもしれないぞ、と」
「……同感だ」

休暇の申請通ると思うかと尋ねるレノに、ルードは交換したばかりのポットからコーヒーを注ぎながら、出来る限り協力しようと返す。
ツォンはといえば未だ 「人の優しさというものは、いやしかし立場も……」 等々、語り続けているのだが。

「……なるべく早い方がいいみたいだな、と」
「……同感だ」

神羅特製コーヒーを啜りつつ、ふたりはツォンの有給申請が本日第一の仕事だと頷きあった。

2012/06/29





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