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雨の日に



夜勤明けの重い体を引きずって、明け方に辿り着いたのは自宅である安アパート。
軽くシャワーを浴びてから布団に横になったザックスが目を覚ましたのは丁度正午に差し掛かる頃だった。

もう少し眠りたい気もするが今日はせっかくの非番の日。
目くるめく忙しい日々に追われておろそかになっていた部屋掃除をしておきたい所だ。
それにこの蒸し暑さ。
眠りたくても再度眠りに落ちるのは難しい。
じめじめと肌に張り付く衣服の心地悪さに、ザックスは窓に手を伸ばした。



「うっわ、まじかよ…」

最悪、とザックスは思わずひとりぼやく。
開け放した窓の外から覗いた空には、一面の雨雲が広がっていた。
今にも降り出しそうな天候に溜息を吐く。
溜まっていた洗濯もしたかったのだが、こんな天気じゃ外に乾かすわけにもいかない。
室内で干すにはこの安アパートじゃ湿気が篭って乾き難い。
しかしこのまま放って置くわけにもいかず、ザックスは乱雑に脱ぎ散らかしてあった衣服を纏めて脱衣所にある洗濯機へと放り込む。
洗濯機を回している間に部屋の掃除をしてしまって、それから近場のコインランドリーにある乾燥機の世話にでもなろう。
そう思考を廻らし洗濯機のスイッチを入れた。

静かに回りだした洗濯機を後に部屋に戻ったザックスは目の前の光景に再び溜息を吐く。
一人暮らしなうえに部屋に居る時間は少ないとはいえ、人が住んでいることに変わりはなくて。
かろうじてゴミを捨てる余裕くらいはあったから良かったものの、床に散乱している雑誌やゲーム類など雑多な光景に肩を落とす。
取り出したものは、元あった場所へ戻せばそれでいいだけなのだし、自分は決して掃除は嫌いじゃないはず。
だが忙しさにかまけてそれを怠っていた結果が今目の前にある。
寝起き早々本日3度目となる溜息を零し、ザックスはいそいそと部屋の片付けを開始した。

途中手にした本にのめり込んだりしながらも、なんとか片付いた頃にはもう夕暮れ時。
一度目の洗濯が終わり、シーツ類を回していた洗濯機も丁度終了の合図を鳴らした。
気がつけば、降り出しそうだった空からは大粒の雨が落ちてきている。
タイミングが悪いものだと思いながらもザックスは外出する仕度を済ませて、洗濯物を片手に、もう片方の手には傘を持ち部屋を出た。



1階に下りて、アパートの出入口に立つ。
雨脚の強くなってきた天気に項垂れながら傘を開こうとした時、ばしゃばしゃと駆けてくる人の姿が視界に映った。
この道の先は、駅へと続いている。
時間帯的に人がぞろぞろ出歩いてくるのもわかるのだが、こうも雨が振っていると外出している者もまばらで余計に雨の中走ってくる人物に目が引かれる。
しかしザックスはその人物に見覚えがあった。
よく行く食堂のバイト、11である。
家も近いし、彼女が駅の方向からやってくるのは何の不思議もないのだが。

「11っ」

ザックスは荷物をその場に置き、傘を差して11へと駆け寄っていった。

「あれ、ザックス。今日はお休みなの?」

ザックスに気がついた11が立ち止まり、ザックスは11に傘を掲げる。
この大雨の中、傘も差さずに走ってきた11に。

「おまえ、バカ?なんで傘持ってないんだよ」
「学校に忘れて。気がついたの列車の中で」

学校出る時にはまだ曇り空だったから…と11が恥ずかしそうに笑う。
全く、それならそれで誰かに連絡するなりして傘くらい持ってきてもらえばいいのに。
自分だっているのだし…とザックスが思ったところで今日ザックスが休みなのだということは11は知らなかったのだからわざわざ連絡してくる可能性は皆無なのだが。

「あー、もう。こんなに濡れちゃってるじゃんか。風邪ひくぞー」

こんな生温くじめじめとした日に、あまつさえびしょ濡れでは体調を崩す原因にもなりかねない。
幸いにもここは自宅アパート前。
タオルで体を拭かせることくらいはすぐに出来る。
そう考えて、ザックスは11の手を引いた。

「え、なにザックス」
「ここ、俺のアパート。まず、その成りどうにかした方がいいだろ」

あぁここが、と建物を見上げた後に11は慌てて遠慮をしてきた。
走ればすぐに自分の家だし、こんなびしょびしょで人の家に上がりこむなんて出来ないという。
しかし走ったところで、近いとはいえ11の足では10分はかかるだろう。
これ以上雨に打たすわけにもいかないし、その濡れた姿をどうにかしないとなんだから、とザックスはやや強引に11をアパート内へと引きずり込んでいった。



お邪魔します、と控えめに玄関に入った11に少し待っててとザックスは部屋へタオルを取りに行く。
すぐに戻ってきたザックスは11にタオルを手渡し、脱衣所へと招き入れた。

「あと、これな。ちょっと大きいけど我慢して」

濡れたままよりマシだろ、とTシャツとハーフパンツも11に渡す。

「俺、これから洗濯物乾燥させに行こうと思っててさ。制服って…乾燥機入れても、いいのかな」

そう11の制服に目を向ける。
見た目はどうにも乾燥に向かない生地をしているのだが。

「あ、明日は学校お休みだし。そこまでお世話になるわけにもいかないから」
「じゃあ、ついでだからクリーニング出してくるよ」

そうすれば明日には取りにいけるしと言うザックスに、これ以上遠慮したところで、なんだかんだで結局言い包められそうな気がした11は素直にザックスの厚意に甘えることにした。
言われたとおりに脱いだ制服を脱衣所のドア前に置いて11はシャワーを浴び始める。
その間にさっさと用を足してきてしまおうとザックスは脱衣所前に置かれた制服を袋に入れて部屋を後にした。



だいぶ小降りになった雨の中、コインランドリーにて当初の目的であった洗濯物を乾燥機に放り入れる。
それから併設されているクリーニング屋に11の制服を預けて、日用品の買出しにと足を向けた。

一通り必要なモノを買い終え、ふと思う。
11に服を貸したはいいけれど、流石にあんな服装で外を歩かせるなんて酷な話じゃないだろうか。
かといって、給料日前の手持ちの資金では女物の服を買うには少々不足だ。
ザックスがほんの少し悩んだ末に考えついた結論は、暗くなってしまえばそれもわからないだろう、ということ。
暗くなれば日中ほど人通りも多くないし、丁度一般的な夕飯時であるこの時間帯。
たまには規則正しい生活もいいんじゃないかとひとり納得をして、ザックスはふたり分の食材を買うために食品売り場へと移動した。
食材と日用品を抱えた帰り道にコインランドリーで乾いた洗濯物を回収して帰路を辿る。



玄関に入って聞こえてきたのは脱衣所からするドライヤーの音だった。
どうやら髪を乾かしているのはわかるのだが、ザックスが出掛けていた時間は結構あったはず。
女の子とは自分が思っていた以上に長風呂をするものだと変に感心しながら脱衣所をノックする。

「さっぱりした?」

そう声をかけると気がついたのかドライヤーの音が止み、脱衣所のドアが開かれた。

「おかえりなさい、ザックス」

それとありがとうと、ザックスのTシャツに包まれた11が顔を出す。

「なんか…想像以上にでかかった?」

ザックスのTシャツとハーフパンツを身に付けた11を見て出た一言だ。
半そでのはずなのに肘部分までそでがあるし、裾に至っては腿を覆い隠す位置にまである。
これだったら少し短めのワンピースでも通用しそうだと思いながら買ってきたものをテーブルに置く。

「あ、でも下はほら、ヒモで締められたから」

そうTシャツを腰元までたくし上げて腰部を見せてきた11に、ザックスは慌ててわかったからとそれを止めさせた。

「えーと、じゃあ、ザックスも帰ってきたし、私もそろそろ家に帰るね」

本当にありがとうと帰り支度を始めた11をザックスは引き止める。

「服はちゃんとクリーニングして返すよ?」
「いやそうじゃなくてさ」

そんなカッコで外歩いてたらおかしいだろとザックスが言えば、そうかな、と11が返してきた。

バイト中を見る限りはしっかりとした印象を持ってたんだけど、意外と人目を気にしない性質なのだろうかとザックスは思う。
自分もそんなに人目を気にしたりするタイプではないが、それにしたってさっきの裾めくりといいこんなカッコで外に行こうとしたりと気が気でないのは確かだ。

「暗くなって、そのカッコ目立たなくなったら送るからさ。飯でも食おうぜ」
「ザックス、そこまでお世話になるわけには行かないよ」
「いーのいーの。家帰っても飯食って寝るだけだろ?」

バイトが無いのは知っているし、それならふたりで食った方が楽しいじゃんと言うザックスにそれならと11が食材の入った袋に手をかけた。

「じゃあ、せめてお礼に私に作らせて」

メニューは何、と聞きながら袋を漁る11に、ザックスは目を逸らしてオムレツとスープと応える。
キッチン借ります、と部屋に備え付けられた簡易的な調理台の元へと11は袋を抱えて移動した。
その間にザックスは乾燥した洗濯物を片付けてしまおうとタンスの前に移動する。


一枚一枚袋から取り出して、たたんで仕舞っていく。
いつもなら適当に押し込んで終わりなのだが、こうしている理由はひとつ。
見えてしまったから。
いや、全部じゃないけれど。
屈んだ11の首元から、チラッと柔らかそうなモノが。
彼女をそういう対象として見ていない事もなくもないが、一般的な標準男子たるもの一応はそれなりに反応してしまうもので。
そんな自分自身に嫌悪を抱きつつも年頃の若造なら当たり前だよなという開き直りともいえる思考が鬩ぎあう。

お節介なのは自覚している。
遠慮する11を強引にアパートに引きずり込んでしまったのだし。
その後の事を一切考えもしなかった自分が恨めしいというのか、でも雨に打たれてびしょ濡れの彼女を放って置くこともできなかったし。
それよりもまずはこんな邪念ともいえる思考をどうにかしなければ身が持たない。
気を落ち着かせるために一枚一枚、いまだかつてないほど丁寧な作業をザックスは繰り返していた。
そんな丁寧な作業も終わる頃にはだいぶ気も紛れてきて、丁度いい匂いが鼻を掠めてきた。

「お皿、適当に使っちゃってもいい?」

そう聞いてくる11にどうぞどうぞと返事をしてテーブルの前につく。
運ばれた来たのは自分が作ろうと思っていたオムレツで、しかし手馴れているのかザックスが作るものよりもキレイに包まれている。
スープの具材も自分が作るような大雑把な切り方ではない。

「すっげーな11」
「いえいえ、これくらいなら」
「いや、やっぱいいよな、こーいう女の子の手作りって」

そう零すザックスに11はありがとう、と照れくさそうに返し早速食事を始める。
ザックスは11の作ったスープが気に入ったらしく、同じ材料を使いながらもこうも味が違うのかと感心しながら何回もお代りをした。
ふたり分にしては多かっただろうかと心配していた11だが、そんなザックスの様子に多めに作ってよかったと11が笑いながらそれに応える。
そんなふたりで過ごす食事の時間は思いのほか楽しく、会話をしながらもあっという間に食べ終えてしまった。

皿を片付けに入る11に自分もそれくらいは手伝うとザックスも一緒に皿を運ぶ。
ふたり並んでザックスが皿を洗い、11がそれを拭き上げる。
しかし場所は狭いシンク内、時折11の柔らかい部分が腕に当ったりして、さっきまでの平常心はどこに行ってしまったのかとやや挙動不審に陥るザックス。
それでも11はそんなザックスの異変に気がつくことはない。
これは人目を気にしないというよりも、そもそも男として見られてないんだとザックスは悟ると同時にほんの少し肩を落とす。

意識され過ぎて警戒されるのもヘコむものだが、これはこれでどうなのか。
それでも彼女が楽しそうだから、まぁいいのかと気を持ち直す辺り、わかってはいたが改めて自分は恐ろしく前向きな性質なのだなと心の奥で苦笑する。



「なんか、いろいろとありがとう、ザックス」

せっかくのお休みの日だったのに、と11が頭を下げる。

「いーんだよ。俺が強引に連れ込んだんだから」

気にすんなってと頭を掻く。
時刻はすでに深夜に指しかかろうとしている。


皿を洗い終えた後、11がザックスの部屋で見つけたゲームについて話題を振ってきた。
人気ゲームの第二弾となる新作で、今学校でも流行っているのだという。
このまま返すのも味気ないと思っていたザックスは、それならと11とゲームを始めたのだが、件のゲームは格闘物。
女の子相手だしとほどほどに手を抜いてみたのが間違っていた。
一回戦目でボロ負けを果たしたザックスが本気になるも、器用にこなす11になかなか敵わず。
熱中するあまりに時間を忘れ、気が付いた時にはもうこんな時間。
急いで11を彼女のアパートまで送りに来ていた。

「まっさか11に、あんな負けるとは思わなかったしな」
「結構ね、友達の家でやってたりするから」

その友達って男なのか、それとも彼氏だったりするのだろうかと、そんなことが一瞬ザックスの頭を過ぎったがそんな考えは直に振り払う。
わざわざそんな野暮なことを聞く必要はない。

「あのさ、今度どっか遊びに行かないか?」

11さえ良ければ、と少し窺いながら聞いてみると11は首を傾げながらザックスを見上げてきた。

「ザックス、どっか連れて行ってくれるの?」
「おっ、おう。遠くは無理だけどな。なんつーか11といると楽しいし…ってそれだけじゃないけど」
「良かった。私だけじゃなかったんだ」

ザックスの言葉の続きを待たずして、11が安堵するかのように胸を撫で下ろしている。
強引さに弱そうに見えて、こうして意外と人の話を聞いてない節もあるよなと思いながらもザックスは11の言葉に耳を傾ける。
”私だけじゃなかったんだ” ということは

「私も、ザックスといると楽しいんだ」

だからもっとザックスと仲良くなりたい、となんとも直球な言葉を投げつけてきた。

「あ、ゴメン。ちょっとずうずうしい?」
「いやいや大歓迎!てか、俺もそう思ってたとこ」

ちょっと11とは意味合いが違うかもしれないけれど、というのは伏せておいて、気が合うな!と笑いかければ11もそうみたい、と笑顔で返してくれた。
休みの日がわかったらメールするから、といってもその前にまたバイト先で会う確立の方が高い気もするけれど、そう約束をしてザックスは来た道を戻っていく。


せっかくの非番だというのに蒸し暑さに起こされて始まった一日だったけれど、なかなかに実りのあった一日だったじゃないだろうか。
終わりよければ全てよし。
そんな言葉を頭に浮かべて、足取りも軽く夜道を辿るザックスだった。

-end-

2010/6/22





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