係累
「あぁ、11。間違っているよ」
ここはこう、と11の手をとり間違えた文字の隣に正しい文字を書いてみせる。
拾い子である11を預かってから1ヶ月ほどが過ぎた。
城での執務のない日には、こうして11へと読み書きを教えている。
魔導士としての弟子として迎え入れたものなのだが、何分まだ幼い。
読み書きも禄に覚束ないうちに何かを教え込もうとしても無理があるだろうと考えての事。
一生懸命覚えようと頑張っている様子は見ていてよくわかるものなのだが、本人の努力虚しくもなかなか覚えられないようだ。
少しばかり先が思いやられてしまうが、預かった以上、一人前の魔導士と成長させるべく忍耐強くやっていくしかないのだろう。
そんな溜息を心の内に吐いていると、家政婦より夕食の仕度が整ったと声がかかった。
途端に11の顔が明るくなる。
外は夕日が傾きはじめている。
お腹も空いた頃合なのだろうと、食事をとってくるよう促した。
その間に自分は家政婦より、ここ最近の11様子の報告を受ける。
面倒を見るといってもひとり身の自分では幼子を育てていくなんてことは不可能と思い、家政婦をひとり雇い入れていた。
長年城に仕え、女中達の纏め役として勤めてきた老齢の女性だ。
半年ほどまえに退職を迎え、時々、来客がある日などは屋敷に給仕に来てもらっていたのだが、11を受け入れるにあたってこうして日中の面倒を見てもらっている。
随分とこの町に馴染んできたと家政婦が告げる。
この屋敷に住み始めた当初は不慣れな土地ということもあったのだろうが、自ら外に出ることはなかった。
それが家政婦との買い物だったりと徐々にと連れ出して行くうちに、外への興味を抱き始めてきたらしい。
庭で遊んでいれば近所の子供たちが声をかけてくるようになったし、時には仲良くなった子供の家に遊びに行く事もあるのだという。
勉強だけをしていればいいというものではない。
子供にとっては、のびのびと楽しく過す時間も必要だ。
11にとってそれがいい影響をもたらすというのなら、大いに結構なことだと思う。
これからもよろしく頼むよ、と家政婦に告げると、それから、と家政婦が続けてきた。
差し出がましいかもしれないがと遠慮がちに紡ぐ。
忙しい身なのは充分に承知しているが、なるべく11と接して欲しいと告げてきた。
もう少し成長すれば聞き分けもよくなってくるだろうけれど、まだ10歳にも満たない子供には愛情が必要だと。
食事だけでもいい。
一緒に過す時間が取れるのであれば、その時に11の話にも耳を傾けてやってくれないかと申し出てきた。
「貴女では、駄目なのだろうか」
引き取ったとはいえ、正直子供の扱いは得意ではない。
ああやって勉強を教える程度ならば、若き頃から経験してきたことだから事もないのだが。
そう言うと、家政婦が苦笑を零してきた。
そうしたいのは山々だが、あくまで自分は雇われている身であり、そういったものは同じ屋根に住む者が与えてやるのが相応しい。
そうでなくては意味がないとまで言ってきた。
「なるほど。人生の先輩たる貴女がそう言うのならば」
そうなのだろうと言えば、家政婦は皺の深い顔にまた更に皺を増やして満足そうに頷いた。
翌日。
執務を終え、先日の家政婦の言葉通りに11との時間を取るべく早めの帰宅を果たしてみた。
「おっ。……おかえりなさい、ミンウさま」
丁度廊下を歩いていた11が、あまりにも早く帰宅した自分に驚いた面持ちを覗かせてきた。
昼寝の名残か、髪に寝癖の残るまま荷物を受け取りに近づいてくる。
「ただいま、11」
荷物を受け取った11の頭をそう撫でると、些か11の身が硬直する。
いつも、こうだ。
緊張しているのか、未だ自分に慣れていないのか、1ヶ月も共に暮らしているというのに自分に接する態度は硬い。
子供らしくないものだ、と常々思っていたがきっとこれが昨日の家政婦の言わんとしていたことなのだろう。
夕食は済んだのかと聞くと、まだだと応えてきた。
家政婦に依頼しているのは夕食の仕度まで。
彼女にも家族がいるのだし自分が帰るまでともなると何時になるか判らないからだ。
それが余計に11に心寂しい思いをさせてしまっていたのかもしれない。
大人である自分でさえ、ひとりで過す食事の時間というものは寂しく感じてしまうものなのだからよくわかる。
なのにそこに配慮を怠ってしまっていたのは人としての己の未熟さゆえか。
「では、一緒にいただこうか」
そう11に声をかけると11が驚きの面持ちを向けてきた。
無理もない。
彼女と食事を共にすることなんてこれまで数えるほどにしかなかったのだ。
時間が合わなかったのはもちろんあるのだが、実際どう接して良いのかわからないという自分勝手極まりない意識もあったのだと今更ながらに思う。
食事を温めなおし、席につく。
そしてそのまま無言で食事を始めた11に挨拶はどうしたのかと窘める。
教えてもらっていないはずはない。
あの家政婦は穏やかで人当たりのよい人物だが、こういったことには厳しいのだから。
「何にでも言えることだけれどね。作った人々への感謝を蔑ろにしてはいけない」
例えひとりの食事の時でも、と恐らく習慣づいてしまっていただろうことへの戒めを口にする。
すると素直なもので、ごめんなさい、と、それからいただきますと手を合わせなおして食事を開始した。
食事を摂っている中で気がついたことがひとつ。
この子は殊のほか食べる事が好きなようだ。
まだ手をつけていない鍋を覗いた時にはふたりでこれだけの量を消費できるのかと思ったものだが、黙々と食べ上げてはおかわりをする11に納得がいった。
いつも自分は11が食べ終えた鍋しか見ていなかったから気がつかなかっただけらしい。
食べ過ぎはよくないと思うのだが、しかしあまりにも幸せそうに食べる様子に止める気力は湧いてこない。
「だいぶ、ここでの生活も慣れてきたと聞いているよ」
食事を片し終え、ソファに寛ぐ11の横に腰を降ろす。
しかし自分が近づくと緊張するのか、11の表情が硬くなる。
接して欲しいと言われてはいるが、こうも警戒されているとなるとまずは11の心を開かせるのが先だろう。
「友達もできたと聞いている。そういう話を、私にも聞かせてくれないだろうか」
「…ミンウさま、きいてくれるの?」
そう首を傾げて尋ねてきた11に頷き返す。
するとポツリポツリと、日々の出来事を拙い口調ながらも話し始めた。
庭で池の魚を眺めている時に面する通りから声をかけてきた子供達のことや、仲良くなった子達と近場の公園でよく遊ぶこと。
それから最近、その中のひとりの子の家へと遊びに行くようになったこと。
話していくうちに、11の表情は子供らしい明るいものへと変わっていく。
「それでね、ミンウさま。あの……」
もじもじと、何やら言い難そうに11がこちらの様子を窺ってきた。
「なんだい?言ってごらん」
「えぇと、あのね。…おともだちがね、ここのおうちにあそびにきたいって」
大きいお家に入ってみたいと言われたのだが、ここは11の家ではないのだし、自分に聞いてみてからと何度か断ってきたのだという。
「…ここは、11の家だろう?」
「え、でも…わたし、すてごだからって」
いくら自分が優しいからと、それに甘んじていてはいけないと何処かの大人に言われたのだという。
きちんと身の程を弁えて、よく考えて、失礼のないように行動しなさいと。
全く、馬鹿らしい話だと思う。
この1ヶ月もの11の態度は、そんな戯言を紡ぐ大人の言葉を真に受けてしまった結果なのだろう。
この子は素直だから。
だからあんなにも自分に緊張して、必至に読み書きを覚えようとして。
今までどんな思いでこのような後ろめたさを抱え込んでいたのだろうかと思うと胸が締め付けられる。
しかし、至らないところは多々あるとはいえ11を育てていくと決めたのは自分だ。
「いいかい、11」
どこの誰に何を言われようとも、それに引け目を感じる必要などどこにもないと頭を撫でる。
「私はね、御覧の通りにひとり身だし、子供もいない」
それでも君を育てたいと思ったからこうして今11はここにいるのだということ。
だからこの家は11の家でもあるのだし、友達を連れてくるのも11の自由なのだと紡ぐ。
「家族だろう。私と君は」
「かぞく……」
「そう。家族」
家族なのだから、何も遠慮することはない。
嬉しい事も悲しい事も全て話して欲しいし、11は11らしく居てくれたらそれでいいと告げると、なにやら難しそうな面立ちを覗かせてきた。
幼子には少しばかり理解し難い話し方だったかもしれないと、苦笑を零す。
「えーと…わたしがうれしいと、ミンウさま、うれしい?」
「あぁ。そうだね」
「ミンウさまがうれしいと、わたしもうれしいの」
だから勉強も頑張ると、11が小さな手を拳に変えて掲げてきた。
なんとも愛らしい仕草ではないだろうか。
そんな仕草に、子を想う親の気持ちというものが少しわかったような気がする。
そして、大切に、拾い子という事に後ろめたさを感じさせることのないよう何不自由なく一人前の魔導士と成るべく育てていこうと、そう心新たに決意した。
それから早数年。
幼児期を過ぎた11は12の年を向え、未だ現れぬ彼女の親はもう引き取りに来る事はないだろうという司教の言葉を受け、正式な家族となる手続きを執ることとなった。
その後にもし親が現れたら、という懸念もあったが、今更現れたところで11を渡すつもりは毛頭ない。
ここまで彼女を育ててきたのは自分なのだし、何より11は自分に絶大の信頼を寄せている。
「お帰りなさい、ミンウさま」
そう腕を伸ばしてくる11を抱き留める。
いつだっただろうか、11がまだまだ幼かった頃だ。
遊びに行った帰りにどこぞの恋人同士の遣り取りでも目撃してきたのだろう。
帰ってきた自分を玄関にてしゃがみ込ませて、口付けてきた。
見よう見真似であり、そこに含まれた意味合いなど11が知る由もない。
とはいっても、こういった行為の意味するところを教えるにはまだ幼すぎると思った自分は、これは家族間の挨拶なのだと11に教えた。
決して他の誰にもしないよう、ふたりだけの挨拶なのだと。
あの時は本当に、ただ純粋に娘を思う父の気持ちでいたのは確かだったはずなのだが。
「ただいま、11」
唇に口付け、軽く抱きしめる。
日に日に女らしくなっていく11の姿。
果たして養子縁組は正しい判断だったのだろうかと自問する。
もう数年も待てば、別の縁組にて戸籍を同じくすることはできたのだ。
ただ、それには彼女の同意も伴わなければならないのだが……いや、止そう。
どこかの寝物語でもあるまいし、馬鹿な思考は控えるべきだ。
それに何より、年が明け、13の年になる来年には城仕えの身となる。
いつまでも身分不明のままにしておくわけにもいかない。
これが最良の判断だ。
11の額に口付け、体を離す。
「明日は買い物にでも行こうか、11」
そろそろ季節の変わり目だ。
新しい衣服を新調するには丁度いい頃合いだろう。
「君は女の子なのだし、今度はもう少し着飾るのもいいかと思うのだけれどね」
いつまでも質素で飾り気のない服装では、せっかくの花も味気ないものだ。
可愛らしく着飾る姿も偶には臨んでみたい。
そう思うのは親馬鹿からくるものなのか、はたまた自分の邪な想いからなのかは自分でもよくわからないのだが……。
「え、いやですよ〜。私、ミンウさまと同じ白色がいいんですもの」
それでは駄目かと11が首を傾げこちらを見上げてきた。
「…いや。11がそれでいいと言うのなら、私は構わないよ」
好きにしなさいと告げれば嬉しそうな顔を覗かせたが、嬉しいのはむしろこちらの方だ。
11の口から自分と同じが良いのだなんて言葉が聞けたのだから。
「ミンウさまも嬉しいですか?」
「そうだね。君が良い娘に育ってくれて、嬉しいと思っているよ」
さぁ、食事をいただこうとダイニングへと促す。
彼女と過す日々が自分にとって有意義であれば、それでいいのだと今は思うとしよう。
11もそれで満足しているのだから。
だから、彼女が望んでいる限りはもうしばらく ”家族” を演じていこうと思う。
-end-
2011/6/24 のむら様リク
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