神様の交換条件 | ナノ




「心中、」
そう耳元で低く落ち着いた声色に囁かれてぞわりと背筋が粟立った、昇ったばかりの緩やかな陽は薄く斑に揺れて(まるで音もなく海に沈むかのような、)自分と彼とを静かに視ている。

「シンジュウ、とは一体何のことだい」
肩越しに繰り返す彼の視線は会社が自分の為に取り寄せてくれた雑誌の一ヶ所に向けられている、同じ場所に目を這わせればニホンの芸術や文化を細やかに説明しているソレの歌舞伎について触れている部分に『心中もの』と書かれているのが見えた。ああこれのことかと思いながら互いに愛し合っている男女が合意の上で一緒に死ぬ、所謂情死なのだと説明すれば良く分からないといった風に首を傾げられる、彼の国のコトバで言うなら『lovers suicide』だとも付け加えたけれど今一腑に落ちないといった顔をされた。
「私には良く分からないなァ」
「すみません、僕の説明が下手で」
「いや違う、そして違うよ、君が悪い訳ではないんだ!ただ私には愛し合っているというのに何故死ななければならないのかが理解できなくてね、」
私の知り得る恋の物語というのは逆境があれば立ち向かうし悲劇はあれどそれは大概周りの作為や事故であったりするからと言われてアアと呟く、(つまり彼の疑問はwhatではなくwhyなのだ。)この国の文化にかぶれて感覚が麻痺していたけれど確かにある意味でリアリティを持つその死に体は珍しいのかもしれない。興味が沸いたのか自分の感情にやたら素直な彼は案の定そわそわしながら良ければその作品の説明をしてはくれないかと聞いてきて思わず頬が弛む。
(幸せ、だなァ)

『ある所に二人の男女がいた、彼等は互いに愛し合っていたけれども男は奉公先で叔父に無理矢理婚約させられてしまう。それを固辞したことにより男は借りていた金を返さねばならなくなった。
やっとのことで取り返した結納金を男はどうしてもと言う友人に期限付きで貸したが数日後に金など借りていないとはぐらかされた上に逆に詐欺師だと散々に殴り付けられてしまった。兄弟のように慕っていた友人に裏切られた上に面目を失った男は死を持って身の潔白を示すしかないと、』
「ちょっと待ってくれ、どうして疑いを晴らすのに死んでしまおうとするんだい?」
「この国では自ら命を絶つことは身の潔さの証明になっていたみたいです」
「そうか、不思議な文化もあるものだね。すまない、続きを頼むよ」
『男は女の店で彼女にその旨を伝え、最早添い遂げることが叶わぬと分かった二人は手を取り夜の森へと向かうと連理の松の木の下で来世を誓い合った後に男が女を殺し自らも命を絶ったのだった。』

語り終えて彼の方を向けば腕を組んで大袈裟に唸っている、かと思えば突然にこちらを向いて口を開いた。君は、え?、君はどう思うんだい、何を、心中を、(美しい話だとは思うのだけれどやはり私にはそこだけが良く分からなくてと恥ずかしそうにはにかむ顔は僕しか知らない。)(じわりと漏れだす優越感と、)

「…交換条件、じゃないですかね、神様の」
「交換条件?」
「二人の命を差し出す代わりに来世で必ず結ばれるように、っていう」
今度こそ誰かに邪魔されることなく幸せになれますように、そう呟けば素晴らしいそして素晴らしい!君は頭が良いと満面の笑みで無邪気に喜ばれるものだから何だか照れ臭くなって情けない笑いが溢れる。
「けれどすまないイワン君、実は私はあの話を知っていたんだ」
「、え」
「前にたまたま目を通したことがあっただけだしその時も心中については全く理解出来なかったのだけれどね、」
悪意があって騙した訳ではないのだよと呆けた顔で座ったままの自分の正面に立った彼はアァそういえばと続ける、あの話には私の好きなシーンがあってね、イワン君なら知っているだろうけど遊廓で男が女に死の決意を告げるあの、

「キース、さ、」
(いつも見上げていた筈の彼の顔を見下ろす形で目が合ってなんだか目眩がした、あああ彼の手に抱かれている僕の脚ってこんなに白かったっけ?)

「イワン君、私と共に、」
「死んではくれないかい」

この世界は確かに毎日が充実していて素晴らしくてだけれどもあんまりにも不自由で不条理でそして狭すぎるとは思わないかい、贅沢なワガママかもしれないけれどあの話の彼等のように君との幸せを誰かに邪魔されるだなんてそんなの私は御免だよ。
珍しく熱に浮かされたような艶のある表情で足元から囁く彼がなんだかとても愛しく見えて仕方がない、卑屈な自分には今のままでも十二分に幸せだったけれどこれ以上幸せになったら嬉しくて嬉しくてアタマが可笑しくなってしまうかもしれないなァだなんて脳味噌の隅っこで考えながらいいですよ、と呟いていた。



神様の交換条件



(二人ぼっちに透明な海でようやく昇りきったあたたかな陽にゆらゆらと抱かれている、相変わらずセカイは静かだったけれど今はそれが異様に心地よかった。)
(さようなら、開かれないカーテンの向こうの空はきっと青い。)




提出/シーソーゲーム
企画の開催に全力で感謝を、
提出の遅延に心から謝罪を、
すべての人に、シアワセを。
ありがとうございました!!



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -