まるで全てが夢のようなあの時 | ナノ




昔から大人になるのが怖かった、理由は分からなかったのだけれど授業中に先生がふ、と自分の過去を話し始めるとその場から逃げ出したくてたまらなくなる。(目を細めて遠くを懐かしむその表情は自分にも理解の出来ない感情を生み出させては胸の内にぞわりと鳥肌が立つようで気分が悪い。)そんな時はいつも耳を塞ぐように縮こまって俯いていた、暗い視界の中でぢくぢくぢくと心の臓が脈打つ音だけを拾いながらアア早く終われば良いのに、と毒づく。


珍しくひとりでに目が覚めてぼんやりとした脳味噌でひとつ伸びをすると背骨がばきりと小気味良い音を立てた、昔からどうにも朝は苦手で普段はエドワードに布団を剥がされても呻いてかぶりを振っていたりするから不思議だなァと欠伸をしながら下に居る親友の姿を覗き込む。(…寝顔、)先に寝付いてしまうもの後で起きるのもいつも自分なものだから目の前の光景がなんだか新鮮で彼を自分が起こすというそれだけの行為に妙な喜びを覚えながら「エドワード、」と、

(…嘘だろ)

続く筈だった言葉は噤んだ口に遮られてそのまま喉の奥へと滑り落ちる、すう、と空気が凍ったような気がした。(ぢくぢくと血液の流れる音がする。)どれくらいの時間が経ったのかは覚えていない、なんだお前の方が早起きなんて珍しいなぁイワン、なんて耳に飛び込んできた声にも返事など返せずに首に指を這わせたまま黙りこくってそうして右手は無意識に薄い掛布団を引き寄せている。
「イワン?」
起きてるんだろ、と続けながらエドワードが布団から這い出る音に慌てて身を退くと勢い余って背中が壁に激突してごつりと鈍く反響した、それでも口を閉ざしていれば訝しげに再度名前を呼ばれる。軋んだ梯子がひどく恐ろしいモノに思えて気が付けば掠れた声で来ないで、と返していた。見えない向こう側で彼の動きが止まる。
「どうしたんだよ」
「こないで」
「具合が悪いなら誰か呼ぶか?」
「こないで」
「俺、お前になんかした?」
「こないで」
「…おい、イワン」
「こないで」
ばかみたいに拒絶を繰り返せば小さな溜め息が聞こえてきて面倒な奴だって思われたかなァだなんて悲しくなったけど正直自分だってどうして良いか分からないんだよエドワード、結局は梯子を上りきってしまった彼の視界にベッドの隅で布団と膝を抱える自分はさぞかし情けなく映っているに違いない、(こないで、)違いない。なァなんかあったんなら言ってくれなきゃ分かんねーよ、こんな時に限ってお人好しな友人の手がぬ、と伸びてきて布団を引っ張ろうとするから。(やめてってば来ないでよ今だけは本当にダメなんだよねぇエドワード)

「来ないでって言ってるじゃないか!」

暗転、転落、はい御仕舞い。凍りついた脳味噌の奥でがしゃんと何かの割れる音がしてアアアやってしまったどうしようどうしようどうしよう最悪だ、心の堤防には既に自分で突き刺してしまった槍があるから声を上げることだけは避けたかったのにだって今の自分、は。
「…なんだイワン、お前、声変わりしたのか」
(ああやっぱり)エドワードの口から零れた事実はまるで鈍器のように再度自分の堤防に深く深く突き刺さってそうして穴を空けるものだから遂に限界を突破した涙はぼろりぼろりと溢れ出して事態の飲み込めていない彼を困惑させる羽目になる、ちょっと待てってなんで泣くんだよ、だってエドワードが(君の所為だとは言えない)、俺が?、前に僕の声を好きって言ってくれたか、ら。

(お前の声ってなんか女々しいよな。誰かに昔そう言われてから自分の声が嫌になった、確かに他より少し高めのそれは周りに笑われているんじゃないかと怖くなって無理にだんまりを決め込んでいたことがある。だけどもすぐに気付いたエドワードに心配されて理由を話せばなんだそんなことか、と呟いた後に『俺はお前の声、優しいし聞いてて気持ちが良いから好きだけど』だなんてさらりと言うものだから嬉しさのあまりにやっぱりぼろぼろと泣いて彼を困らせた。でもそれから自分の声を嫌いだと思ったことはない。)


しばらくは違和感あるかもしれないけど俺の時だって慣れたんだし大丈夫だから泣くなって、赤子をあやすように背中を軽く叩くエドワードはそれに、と少し照れ臭そうに付け加える。声が変わった程度でお前のこと嫌いになんてならねぇよと笑うその言葉が嬉しかったのに間違いはないし少なくとも上辺の不安はするりと消えていった、けど。
(違う、違うんだよエドワード、そうじゃないんだ)
大人になるのが怖かったのは、昔話が嫌いなのは、それ等が全てを過去にしてしまう上にそれがニセモノでしかないからだった。あんなにも楽しかった筈の鮮やかな思い出は写真や映像に残そうが色褪せては消えていく。目を細めて語る言葉ににあの頃の熱の籠って浮かれた感情なんてものはどこにもない、確かにそこにあった存在を抗う間も跡形もなく静かに奪い去ってゆくそれが、正に今起きたそれが、こわい。

もしかしたら数年後にも自分はエドワードと親友同士でいられるかもしれなかった、だけどその頃には何もかもが過去になっていて、昨日までの自分の声をエドワードが好きだったことも今こうやって泣いている理由もアカデミーで笑ってふざけ合った幸せな日々も結局は埋もれてゆく思い出にしかならない事がどうしようもなく悲しい、だけどもこの決して止まらない緩やかな侵食は自分達が生まれた時から延延とセカイを蝕んでいたのだ。

現に自分はもう、昔のエドワードの声を思い出せない。



まるで全てが
夢のようなあの時




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