「すみません、そこの、えーと・・・そこの白いおにーさん」
自分でもどうかと思うような言葉で引き止めると、その男は立ち止まり困ったように微笑んだ。
(わ、イケメン。バンドマン・・・?いや、さっきの女の子つながりでここはサイコパスのレイヤー説ごり押したいわ。槙島だわ)
よく見れば瞳の色彩も薄く、髪型といい、服装といい、自分の考えが正しい気がしてくる。
けれど。
「お嬢さんがこんな所で、どうしたのかな」
「う、わー・・・」
声が瓜二つなのには怖気が走った。
(なんだろう・・・声が似てるからレイヤーしてんのかな。まさか声の手術したとか、無いよね・・・)
見る限り縫合痕はなさそうだが。
けれどこれではっきりした。
(さ、サイコパス厨か・・・!口調も大仰と言うか芝居がかってるし・・・こいつ危ねー!)
間違っても年上に向けるべきでない残念な視線を向けてしまい、慌てて表情を引き締める。
こんな人物に事件に巻き込まれた云々を言っても無意味だ。というか逆に危険だ。
「ええと、あの、道に迷ってしまって・・・」
「・・・こんな所で?」
ひどく、愉しそうな視線を向けられてバッグの中で香水が音を立てる。
「あの・・・ここに来るつもりもなかったんですけれど、土地勘がなくて・・・」
平常心を自分に言い聞かせるが、鳥肌もどうにも治まらない。
(怖ぇえ!)
世間にはこんな人物ばかりなのか、それともこの人物が特殊なのか。
思考はぐるぐると廻り、ふと、閃いた。
「えっと、ここらの事を知らないので、なけなしの知恵を振り絞って知識を持ってる人に聞こうと思いました!知恵は知識に勝ると言いますが、私はこれで精一杯です!一晩泊まれる所を探しています!」
言った。
恥も外見も捨てて、言った。
(だってしょうがないじゃない!パスカルを引用でもしないとこの人引いてくれそうに無かったんだもの!)
パスカルの言葉を知らなければ、それこそたまに友人が自分に向けるような痛々しい視線を向けられるかもしれないが、それでもいい年してアニメの登場人物になりきっている彼よりはマシなはずだ。
「おもしろいね」
前言撤回。
「オルテガは常に自分に課題を課していく人が思考的貴族だと言った。優れた人間とは、自分自身に多くを課す者の事であると。君は、どうなのかな」
(悪化した!哲学に哲学で返してきやがった!!かゆい!なんかかゆい!)
優しげなまなざしに、既にバッグからは香水の香りが漏れてきている。
知恵を振り絞ってやはり自分で考えると言うか、それとも香水をその綺麗な顔に吹き付けてダッシュで逃げるか。
不審者に出会った恐怖と見てはいけないものを見てしまった気まずさから香水を握る手も手汗でベタベタになった時。
「さっきそこで、公安の人間に出会ったよ」
彼がそう言った。
(警察じゃなくて、公安!)
もちろんこちらとしては助け舟というより、警戒を強める言葉だが。
「桜霜学園の生徒と、向こうの階段で喋っていた」
(桜霜学園!マジか・・・ん?)
ふと、この区画に入る原因となった少女を思い出す。
「あの、その女の子って長い黒髪の、えっと制服の上にコート着てる子ですか?」
「ああ、なんだ知り合いかい?」
「えっと・・・はい!」
知り合いが近くに居ると分かれば、この男も下手に手出しできないだろう。
きっと。多分。
「まだその辺にいるはずだよ」
男が指差す方に目を向けていると「公安から逃げている様子だったからね。急がないとまた見失ってしまうかも」と、男が付け加える。
(早く言えよそういうことは!)
ひくっとそれまで無理やり浮かべていた笑顔が引き攣るが、考えてみると男は親切にも自分にどうすべきか教えてくれたのだ。
警察に頼るという選択肢は今の自分に最適だ。
(そうと決まれば・・・あ、)
ふと、バッグの中。
香水の匂いで充満してしまったそこを改めて探る。
「おにーさん。本当、ありがとうございました!ダッシュで追いかけます!これ、お礼です!」
探し当てた煙草を差し出し、満面の笑みを向ける。
ここまで痛い人間だ。警察の人間よりは未成年の煙草ぐらい黙認してくれるだろう。
ただでさえこんな廃れた場所。制服の女の子を追いかけていることを考えると補導の二文字が思い浮かぶ。
事件に巻き込まれた拉致されたと言っても煙草が見つかれば簡単にはいかない。
「僕は喫煙者じゃないよ?」
「・・・あ、じゃあ今度会った時に返していただければ」
自分でも見苦しい言い逃れだとは思ったがこの際、これでいい。
男が微笑みながら煙草を受け取ったことに安堵する。
「では、また会おう。お嬢さん」
(またなんかねーよ)
喉元まで出掛かった言葉を無理やり押し殺し「はいっ」と笑顔を浮かべて返す。
二度と会いたくない、その気持ちを乗せて、男が指差した方に駆け出した。




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