後ろから自分を引き止める声が聞こえた気がした。
勿論、それに応える気にはなれない。
どくどくと心臓が脈打つ音が聞こえて、足が進むたびにその音も速まるよう。
息を切らせながら2人から遠ざかりつつも、頭には黒服の顔がこびりついて離れない。
自分の考えが正しければ・・・あれも、フィクションの中の住人に良く似ている。
標本事件、という猟奇的な事件で確か名前は――
(・・・佐々山)
思い出してきた。
それなりにアニメにはまってしまった自分はその標本事件を題材にした小説まで買ったのだ。
制服の、桜霜学園の生徒も登場していた。そしてその風貌は後姿しか見えなかったあの少女にどことなく似ている。
(おかしい・・・おかしい、おかしい!)
奇妙な符号は確かにあった。
眠っている間に変わっていた状況。使われていない様な電車で目を覚ました自分。地下。4月にしては寒すぎる季節。白い男。桜霜学園の制服。そう言えば、途中で見かけた泣きボクロの男は、標本事件の犯人に似ていないか?
だがそれはありえない。
自分を否定したくとも普通ではあり得ない風景の切り替わり。そして圏外のままの携帯やこの廃れた区画にいる状況が自分の焦燥をあおる。
現実逃避をしたい状況だが、果たしてその現実は自分の常識と同じ場所にあるだろうか?
一刻も早くこの場所を出なくては。
人ごみの中を必死で駆け抜け、ふと、一番最初。
黒服、泣きボクロ、制服の3人を見かけた場所が見えてきていることに気付いた。
(助かった・・・!)
根拠のない安堵感から足取りもふらつく。
それでも必死に見覚えのあるそちらへ向かおうとした時――
「おい・・・!」
「っ!」
路地裏からいきなり伸びてきた手に腕を掴まれ、咄嗟にバッグから取り出した香水を声のする方に吹き付ける。
「っ、この・・・!」
香水は確かに目の辺りに直撃したはずだ。
だが、腕を掴んだ手は離れない。
それどころか声の主・・・相手の男は更に拘束をきつくしている。
もう一度香水を振り掛けてやると睨みつけた所で、急に変わる視界と浮遊感に、あっけに取られたまま背中を地面に打ち付けた。
(・・・え?)
「いい加減にしろ!公務執行妨害じゃ済まねぇぞ!」
公務執行妨害、という言葉から相手が警察という考えに思い至ったが安心なんてする訳がない。
(狡噛、慎也・・・)
黒髪、野性的な目。勿論、片方の目には香水が直撃してしまったのだろう閉じているし酷く顔をしかめてはいるが・・・声も風貌も、自分の記憶のそれと完全に一致していた。
槙島1人ならまだありえただろう。佐々山も藤間も、他人の空似で済ませられた。
けれど偶然の一致は早々続かない。
彼が持つ銃・・・ドミネーターをこちらに向けた所で体が動かなくなる。
(うそ・・・私、死ぬ?)
既にキャパオーバー。
銃口を見上げ、容量を超えた思考は停止している。
しかし、その引き金が引かれることはなかった。
「・・・一般人か」
銃口を下げる姿に、いつの間にか止めいていた呼吸を再開する。
でも、どうだ?
本当に自分は未知の世界に足を踏み入れたのか?
この場所の異質は、この場に限ってのものか?
もしかして・・・
(私の方が、おかしい・・・?)
ゆっくりと男が自分の上からどいて「悪かったな」と、自分を気遣う姿がみてとれる。
狡噛が油断しているのは・・・今だけだ。
「・・・すみません、驚いてしまって」
無害そうな笑顔を向ければ「いや、」と言葉を濁す彼。
「しかし・・・こんな廃棄区画で何してたんだ」
「ああ、ちょっと頼まれごとを引き受けて」
「頼まれごと?」
「はい、えっと・・・」
平常心を自分に言い聞かせ、バッグの中からライターを取り出す。
「えっと・・・なんか香水をバッグに振り掛けてライターをつければ・・・」
「っ、馬鹿やめろっ」
「へ?・・・っわ!」
白い男と会話した時から香水をふんだんに振り掛けておいたおかげで、バッグはあっという間に炎に包まれた。
「わわ・・・!」
「おい、火消すぞ・・・!」
「ちょ、危ないですよ!」
バッグの火を消そうと足を上げる狡噛に、慌てて抱きつく。
(役得役得・・・じゃない。ここで邪魔されたら私の努力が水の泡だ)
「離せ馬鹿!」
「離しません!危ないですよ火ですよ火傷しますよ!」
なんたってバッグの中には携帯も、財布の中にはこないだ取ったばかりの免許証も銀行のカードも・・・個人情報の塊があるのだ。
現状は未だに理解できないが、そうやすやすと証拠隠滅を阻止されてはたまらない。
もしかするとこの状況は・・・身元を特定されるのが一番厄介かもしれないから。
相手が二次元の登場人物にしろ、不審者にしろ。
「しょ、消火器とかないんですか!」
「ある訳ないだろっ、お前本当にいい加減・・・」
「あ、そう言えば火事の時には水とかマヨネーズって言いますね!」
ないからこれでいっか、と手に持った香水を力の限りバッグ近くの地面に投げつける。
「・・・ぎゃー!」
「何やってんだ本当!」
燃え盛る炎は、下手すれば火傷なんて生易しいものでは済まない状況で。
「・・・っち、」
見かねたのか狡噛は、無理やり自分を引き剥がすとその手に持った銃・・・ドミネーターを改めて構えなおした。
(お、いい流れ)
「危ないからどいてろ!」
「はっ・・・はひっ」
慌ててその場から離れると、一拍遅れて機械の銃から閃光が放たれて。
それは一瞬のうちに自分のバッグを、跡形もなく消し去る。
一息ついて銃口を下ろす狡噛に、「い、今のは・・・」と、恐る恐る声をかける。
「デコンポーザー・・・まぁ、ドミネーターの本気だな」
その言葉に、先ほど自分にも向けられた銃口を思い出す。
もしかすると跡形もなく消し飛んでいたのは、自分だったかもしれないのだ。
その考えに改めて、背中に嫌な汗が伝う。
「ったく・・・なんであんなことをしたんだ」
「・・・あ、えと・・・さっき、会った、男の人が・・・こうすると、面白いことになるって・・・」
しどろもどろになりながらも、どうにか口からでまかせを紡ぎ出す。
「知り合いか?」
「え?えっと、知らない・・・人です」
「・・・はぁ・・・これに懲りたらもう知らない奴の言う言葉を鵜呑みにすんじゃねーぞ」
「す、すみません・・・」
項垂れながら、狡噛の顔すらも見ずに謝罪する。
「まあ、怪我人が出ずに済んだとは言え・・・事情聴取には付き合ってもらう」
「はい・・・」
(・・・もう少しだけ、がんばろう)
これからの事を考えて、こっそりと溜息を吐いた。




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