昔から何にも執着しない人間だった。


小さいころに買ってもらったくまのぬいぐるみは6年間遊んだけれど、それはお気に入りだった訳じゃなくて、他に遊ぶものがなく欲しいものもなかったからだ。
小学生のときになぜかいなくなった父親に対しても、特別何も思わなかった。そのあと一度も会ってないけど、正直どーでもよかった。

そんなもんなのだろう。
その程度だった。



それからもそうやってゆるゆる生きて、それなりに友達やら彼氏やらもできてごく普通の生活を送って、10年がたった。

「まや、」

「こんばんは、しょーた」

こんばんは、と笑ってわたしの髪を撫でたのは半年前からつきあっている、なんとかしょーただ。(名字忘れた。田中だか田村だか)
向こうから告白をしてきて、わたしも断る理由もないので承諾した。

落ち合って、早速入った居酒屋さんは日曜日なのに落ち着いた雰囲気でご飯もお酒もおいしかった。

しょーたの趣味は、いい。
しょーたとつきあってからはいいびっくりがたくさんあって楽しい。しょーたの好きな洋楽は何言ってんのかさっぱりだけど聴いていてすごくほっとするし、読んだこと無かった小説は、読み終わったのが深夜なのに一人で泣いた。
しょーたとつきあうのは、楽しい。


店を出るとあたりは真っ暗になっていて風がひんやり冷たかった。

「おいしかった?」

「おいしかったよ。芋が」

「それはてんぷら?焼酎?」

「焼酎」

「あはは」

ふざけた会話をしながら手をつないでネオンの間を歩く。
冷たい空気と暖かい右手。

手をつないだのはこの人が初めてな訳ではないけれど、今までは何となくつなぎたくなくてやんわり拒んでいた。
でもしょーたは、つなぎたくないと思わない。だから拒まない。特に自分からつなぎたいとも思わないけど。


このあとどこいく、と訊かれたので少し考えてから、しょーたんち、と答える。しょーたは少し恥ずかしそうにまた笑って、わかった、と言った。



しょーたの家に着いて、途中で買ったビールもよそに、そのままベッドにもつれ入る。
ふわふわの布団が背中にあたり、反対にはしょーたの体がのしかかってくる。
もぞ、と服のなかに入ってきた手を制しながらしょーた、しょーた、と呼び掛ける。

「ね、お風呂はいってないー」

「いいよ。…いい?」

文句を言うと欲情に艶めく瞳がわたしを見つめた。
いいよ、とちいさくうなずくとしょーたはわたしの首を猫のように舐めながら、指を食い込ませた。


わたしは甘い悲鳴をあげる度、しょーたに溺れる。
しょーたに溺れる度、しょーたの背中に回した腕に力を込める。
なんでかはよくわからない。
でも、なんかなくなっちゃいそうで。
するたび、なんかこわくて。
なくなっちゃやだ。
なくなっちゃ、やだ。


行為を終えて、シャワーを浴びて、再びベッドにもぐった頃には二人とも疲れ果てて睡魔に意識を捧げかけていた。
うとうとしていると、しょーたが腕まくらをしてくれて、そのまま頭を撫でてくれた。
無意識にしょーたに頬擦りをしていると、しょーたがくす、と笑った。

「なにー」

「まやって、猫みたい」

よく分からなかったので、ちがいますよ、とぶっきらぼうに言うとしょーたが続けた。

「気まぐれで、こだわりとかなさそうで、でも弱ってたり眠いときは甘えん坊で。かわいい」

あはは、と笑いながら言われる。楽しそうな、幸せそうな顔で頭を撫でられるもんだからなんだか恥ずかしくなってきて、あっそ、と返した。
間もなく、睡魔が再びわたしの意識を取りにやってきた。なんの気兼ねもなくお渡しできるので、わたしは意識を差し出した。



すると、予想外にも睡魔がわたしに話し掛けてきた。

「おまえ、」

睡魔の声は何重にもエコーが掛かってるみたいにうわんうわんしていた。気がついたらわたしは灰色の世界にいた。世界は霞み掛かっていて、わたしの頭もぼんやりとしていた。

「おまえ、の、が、わるいんだ、」

うわんうわんうわん、と頭に攻め込んでくる声。何を言ったのか理解するまでに大分時間がかかったけれど、理解してからもわたしの頭はうまく処理ができなかった。なに、なに、?

睡魔がゆらゆらと灰色に溶け、代わりに目の前にぬいぐるみが現れた。
ぬいぐるみ、くまのぬいぐるみだ。
ずっと遊んでたくまのぬいぐるみ。くまのぬいぐるみがふわふわと灰色を泳ぐと、今度はおじさんの顔が出てきた。
目元のほくろで気づく、お父さん、だ。
くまとお父さんはふわふわくるくる灰色の世界を回り、泳ぎ、踊っていた。



気がついたら昔の家にいた。
引っ越す前の、お母さんと、お父さんと、くまと、暮らしてた、家。

お父さんがお母さんとにこにこ話している。陽だまりの中、あたしも、くまを抱いて楽しそうににこにこ話している。

次の瞬間、お父さんはお母さんを殴った。部屋は暗くて、時間がスキップしたようだった。

お母さんは泣いた。
あたしは部屋の隅で縮こまってた。
人形みたいに。
何も感じてないみたいに。

お父さんはお母さんを殴り、殴り、お母さんは頬を腫らせて泣いた、お父さんも、泣いた。


場面がかわり、お父さんは小さな鞄を片手に、家を出た。机の上にはまだ小さかったあたしには読めなかったけど今ならわかる、『離婚届』と書いてある紙が置いてあった。
お父さんが記入する欄だけが全部、うまっていた。


そこから目まぐるしく場面が変わる。
引っ越しの日、荷作りをした日、お母さんがわたしを抱き締めてお父さんの名前を呼んで泣いた日。くまのぬいぐるみはいつのまにか無くなっていた。無くなったことに気づいたのは、引っ越した後だった。


わたしは歳をとっていき、中学生になり、高校生になり、男の子と付き合ったり、女の子と遊んだり、と、その場面が次々に流れていった。
それらに映ったたくさんの人たちは、今となってはもう連絡すら取らない間柄だった。


わたしが失った、失うことを受け入れた、総てのことが灰色の世界を埋め尽くす。
それは、引っ越しを済ませたその後の記憶のみで出来ていた。


映像は、今年の記憶にたどり着いた。隣の席の女の子が、これからよろしくね、ときらきらの笑顔でわたしの手を握った。



あれ、そうだ、確か、この日だ。
この日の夕方、しょーたが、しょーたが。



灰色の世界で、初めて、わたしが動く。

これ以上みたくない。

失ったものたちの映像なんてみたくない。

失うことを受け入れたものたちの映像なんて、それに映る、しょーたなんて、みたくない!


映像を振り払おうと手をぐるぐる回す。でも実態のないそれはわたしの手なんてするりとかわし、流し続ける、わたしの要らないものたちを。

しょーた、しょーた、しょーた、しょーた。

失いたくない。

要らなくなんかない。

映らないで。

いなくならないで。

わたしを置いていかないで。

しょーた、しょーた、しょーた。


しょーた。




あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。



私は意識を手放した。




















[]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -