Short Story | ナノ


▼ もしも透明になれたなら

季節は、夏。
長期合宿を目前にきょうも暑い体育館で練習が行われた。

部室に冷感スプレーの匂いがしめる。


「へっぷし…」


スプレーの香りにくしゃみをした研磨の隣では、彼のことなんて気にもせずスプレーを噴射させている山本の姿。


「おい、山本、動き回んな。」

「動いたら倍涼しくなるんすよ!」


夜久が溜め息をつくと、シャツを脱いだ。


「研磨がくしゃみしてるって言ってんだよ。」

「いいよ、夜久さん。俺…もう虎の隣から消えるから。」

「は?!」


研磨が汗を吸ったシャツを脱ぐと、研磨の露出した肩に暑苦しい山本の手が置かれた。


「おいっ消えるってどういうことだ?!」

「おつかれーす。」


部室のドアが開くと主将の黒尾が入ってきた。
彼の視線の先には研磨と山本の姿。

研磨は黒尾を見て視線で“どうにかして…”と助けを求めるも、黒尾はニヤッと笑い楽しそうにその隣を通り過ぎる。


「…透明になりたい。」

「あぁ。そういうことか。」


納得した山本は研磨の肩から手を退ける。
研磨はそのお陰で幾らか涼しくなった気がした。

夜久が尽かさず「研磨が透明になったらいろいろやべぇだろ。」と突っ込む。


「えっ面白いじゃないですか!研磨さんが透明になるってことは…相手からは研磨さんの姿が見えないってことですよね?」

「あぁ!じゃあ、相手はびっくりしますね。どこに研磨さんがいるかわからないから…誰にあげられるのかわからないです。」


リエーフと犬岡がとても楽しそうに研磨が透明になったらの話をしている。
それを聞いた部員たちが、想像をする。


研磨が、透明になり…トスが、レシーブが、ブロックが…行われるところを。


夜久が眉を八の字にして「なんか、気持ち悪いな。」と呟く。
その隣で福永はコクリと一度頷いた。


「ってか、そもそも相手に研磨の姿が見えねぇのに…俺たちに見えるのか?」


黙って聞いていた黒尾が、素直な疑問を彼らにぶつける。

夜久は眉を動かし「確かに…」と呟く。
その隣で再び福永はコクリと一度頷いた。


いつまで引きずられるんだろう、この話題…と研磨は思いながら黙々と着替えを済ませていく。


「見えなかったら、試合どころか練習すらできないじゃないですか!」


リエーフが慌てたように言うが、すべて例え話であるがゆえに誰も彼のように慌てる者などいなかった。優しい芝山がリエーフに苦笑いを向けた程度。


「…透明人間って、目見えてんの?」

「そこは見えてるとしましょうよ!」


夜久が、そもそも透明人間とは目が見えない者だと噂で聞いたことがあった。
山本が例え話にさらに例えを付け加える。


「ってか、目見えてなかったらなんで透明人間なんて存在が広がったんだろうな。」

「目見えて、動けるからこそ、透明になった奴がいろいろやらかして、噂んなったのか。」


黒尾と夜久の“そもそも透明人間とは何ぞや”という根本的な話になり周りが怪訝な表情をする。


研磨は思った。
ある意味、俺の「透明になりたい」というちょっとした願望だけで、ここまで話が広がるなんて、すごい面倒なメンバーだ。と。


下手なこと言えない…と黙っている研磨の隣で相変わらず着替えている山本が「俺が、透明人間(目見えてるver.)になれたら、その時は音駒は無敵だな!」と言う。


それに黒尾は不敵に笑う。


「全員が透明になったら…の間違いじゃねぇの?」

「全員が、透明になったら無敵っすか!?」


リエーフが目を輝かせる。


「だってお前、想像してみろよ。コートにいるやつ誰一人敵から見えねぇんだぞ?ただ見てんのはボールだけだ。」

「おぉ!」

「予想を上回ることされてみろ、太刀打ちできるもんじゃねぇぞ。」

「おぉ!」


夜久と黒尾の考えにリエーフは興奮に陥る。

研磨がいい加減にしてほしい、と言わんばかり溜め息をついた。


「例え話にどんだけ頭使ってんの…。」

「「……。」」


研磨の一言に、その場にいた誰もが現実に引き戻された感覚に陥った。
そして、誰も何も言えなかった。


もしも明になれたなら
彼らは頭脳派だと思う


-END-

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