Short Story | ナノ


▼ 刹那の夢は花のように

放課後、3年5組の教室でイヤホンをしながら窓の向こう側を見る名前。
その脳内では、好きな人のことだけを考えていた。

机に開かれた教科書とノートがパラパラと風に吹かれてゆく。

―美しい花のような 一瞬だった―

イヤホンから流れる心地よい男の人の歌声が彼女の鼓膜を揺らす。
大好きな歌とともに、彼の笑顔が咲く。


「―蝶が羽ばたくように…美しい君だった。―」


そう口ずさんだ瞬間、強い風が教室へ舞い込んだ。
自分の髪が顔にかかり、目を瞑る。


「いたっ…」


耳から雑にイヤホンが取れてしまったため、耳が痛くなった。
外れたイヤホンを手探りで探していると、笑い声が聞こえた。
驚きのあまり、声が出なかった。


「わり。痛かった?」

「…え。」


想い人…好きな人、夜久の姿があった。
先ほどまで考えていたため、どこか悪いことをしていた気分になり、視線を落とす名前。


「何回も苗字ーって呼んでんのに、全く気付くどころか歌ってたからさ。」


いつも、こうして彼は彼女をいじる。
顔はにやにやしていて、恥ずかしくなる名前はフイッと視線を逸らした。


「ごめん…」

「音痴ではなかったぜー。」

「なんのフォローにもなってない…」


夜久に聞かれたことをフォローして欲しい名前はジロッと彼を睨むと、耳からイヤホンを取った。


「んで、何してんの?お前。」

「見てわかるでしょ。勉強です。」


とんとん、とノートを指で叩くと夜久もそこへ視線を移し、「わざわざ教室でかー?」と嫌な顔をした。


「いーじゃん。人の勝手でしょ…。」


まさか“好きな人が学校にいるから”なんて言えない名前は口を詰むんだ。


「それより夜久は?部活中でしょ?」


バレー部の彼はもちろん部活中のはずである時間。
それなのに、今3年5組の教室に存在している彼の姿にとても不思議だった。

夜久は「お、そーそー。」と思い出したように自分の机に向かうなり横にかけていた袋を手にした。


「スパイクと間違えて体育館シューズ持っててたんだよ。」


「取りに来た。」と袋を掲げて笑顔を見せる。
胸が一度大きく跳ねたが、視線をノートに移した。
シャーペンを必死に走らせる。


「苗字って字綺麗なんだな。」

「なっ…もう、早く部活戻らないといけないんじゃないの?」


戻ったかと思った彼はいつの間にか背後からノートに書かれていく字を見ていたらしく、平然とした声色で話しかける。
振り返って忠告してみたものの、彼は「まぁな。」とジッと名前の目を見つめるだけで動く気配がない。
名前は、これほどまでに真剣な表情で見つめられたことがなく、いつも以上に胸の高鳴りは増すばかり。

彼の手がゆっくり上げられ、ポンと頭の上に乗せられた。

え…、と戸惑う彼女に、夜久は口を僅かに開いた。


「俺の事、男として見てるか?」

「…。」


突然の質問に、声が出ず、首を縦に一度振って見せた名前を見た夜久が微笑んだ。


「じゃあ…そういうことで。」

「え…」


やっと出た声とともに、彼のほんの一瞬触れた唇に思考回路がショートした。


なに…どういうこと?


その気持ちが口から出ていたのか…夜久が返事をしたように言葉を放った。


「こんなに想ってんのに、気づけよ。」


俺は気づいてる。とでもいうように、口角を上げた彼は背を向けて教室を出ていく。


「…え…夜久は、私のこと…ってか…キスした…」


思考がおぼつかないまま、彼女は現実を受け入れてくとともに心拍数をいつも以上に早く重ねていった。

刹那の夢はのように
一瞬の出来事は心臓を加速させた


-END-

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