3 of Spades
御礼
◆ ◇ ◆
ニコニコした笑みを見た瞬間に、手首が掴まれる。
思わず身を揺らした。
「ここじゃ目立つから向こう行くぞ。」
真っ黒のシャツに赤いズボン。
手足長いなぁ、なんて彼を背後から見つめる名前は首を横に振った。
黒尾先輩なんて、ただ遊ばれてるだけだ。
黒尾の言った向こう≠ニは、まさに事が起きた場所、部室≠セ。
目の前に来て立ち止まる名前。
自然と胸が高鳴りを増してくる。
それと同時に、入ってはいけないと脳の何処かで思っている自分もいた。
名前の固い表情を見た黒尾が「なんもしねーよ。」と中へ入ることを促す。
その一言で、名前は部室へ一歩踏み出した。
「ジャージ、ありがとうございました。」
黒尾に手渡せば、彼は「わざわざ洗濯してくれたのか。ありがとな。」と笑みを向け、それを広げる。
はじめて、笑顔を見た名前は、「あの、」と黒尾に声をかけた。
「なんで…きのう…」
キスしたんですか。≠ニ聞く前に、黒尾が「名前。」と名前を呼ぶ。
「…はい。」
目が合う二人。
黒尾は視線を落とすと、ふっと口角を上げて口を開いた。
「きのうのアレは、夢だ。」
…はい…?
キョトンとする名前は、目の前で腕を組む黒尾を見た。
彼の表情は、何かを企んでいるかのよう。
「……何を企んでるんですか?」
「名前ちゃんがどんな反応すんのかなぁ、って。」
「…。」
にっと笑う黒尾に、名前は口を詰むんだ。
黒尾という存在が、まだどんな人か全然しらない。
どう言えば、どんな反応をするのかわからないのはお互い様だ。
私の勘が言ってる。
今が黒尾先輩にとっても、自分にとっても勝負だと。
立ったままの名前が、身を動かす。
「夢は、イヤです。」
黒尾の目の前に立った。
名前の瞳に映る黒尾の表情は、少し驚いている様に見えた。
「そこにどんな形があっても、黒尾先輩に助けてもらったことには変わりないです。」
スカートをぎゅっと握りしめた名前の頬は、ほんのり赤くなる。
「アレは、私からの御礼でいいですか?」
その言葉を聞いた黒尾は、吹き出すように笑い出す。
拍子抜けとは、こういう事。
今は笑う場面だっただろうか、とフツフツ込み上げてくる苛立ち。
しかしそれは、一瞬にして消しさられた。
「礼にしては足らねぇだろ。」
そっと名前の手に黒尾が手を伸ばす。
「…お高い人に助けられたもんだな、名前。」
「…黒尾先輩って、本気なのか冗談なのかわからないです。」
視線を落とす彼女の顔をジッと見つめるなり、口角を僅かに上げた黒尾。
「礼はカラダで返してもらうぞ。」
「…はい?」
こうして、黒尾先輩の本気なのか冗談なのかわからない言動に振り回され始めた。
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