Jack of Hearts
お礼の使用
◆ ◇ ◆
ふっと笑った黒尾がそのまま壁に背を預ける。
どうやらここで話をしてしまうようだ。
いつ人が通ってもおかしくない場所であることだけは確かなため、気を抜けない。
「勉強のお礼、覚えてるか?」
「………あ、はい。思い出しました。」
パッと表情を明るくした名前に、黒尾は「それ、この合宿中に使いたいんだけどいいか?」と聞く。
名前はきょとんとした。
黒尾への御礼は“名前の時間が欲しい”だ。
それは名前と居られる時間が欲しいということだったが、合宿中に使うとなると正直一緒に居られる時間は少ない。
「いいですけど…先輩忙しいじゃ…」
「忙しいからだよ。」
「…。」
黒尾を見上げたまま固まる名前。
黒尾は忙しくて会えないこの合宿中でこそ彼女と確実に二人っきりでいられる時間が欲しいと伝えたのだ。
言葉の意味を理解した直後、俯く名前。
さすがの黒尾も照れくさいのか頭を掻く。
「苗字が嫌って言うならいいんだけど…」
「先輩らしくないですね。」
「なんだと?」
いつもなら意地悪なことを言う先輩が、今はそれをしようとしない。
それすらも、先輩らしくない。
「いつもならそこは“拒否権ねぇけどな。”とか言うところじゃないですか?」
黒尾の目の前に立ち、真っすぐ見上げる。
彼女の瞳が“ここで引くな”と言っているような気がした。
「名前。」
今、はじめて名前を呼ばれて胸が一度高鳴った。
身体は素直なのに、気づかない頭はただのバカだ。
そう、いつも部員たちに言われてる通り私はバカだった。
いつもより、幾らか小さい声で彼女の名前を読んだ黒尾はそのまま名前の手首を優しく掴むとその腕を引き寄せた。
一歩、二歩とよろめく様に名前の足は黒尾へ近づく。
いつもなら、抱き締められる。
そして、キスする。
でも、今日はしない…。
さすがに、場所が場所だから先輩も考えてるのかな。
そう思っていた矢先に、黒尾は名前の後頭部へ手を回した。
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