考える
“案外、一番身近な人が一番大切に思ってくれてるんだと思うよ?”
研磨の言葉が脳裏に浮かぶ。
ノートを右手に、シャーペンを左手にコートの端で練習風景を見ていると、手からボールペンが落ちた。
それを取ろうと身を屈ませた時、「時穏!あぶねぇ!」と夜久の声を耳にした直後、肩に衝撃を受けた。
ノートと共に手に取ったはずのボールペンがカランと音を立てて再び床に落ちた。
「っ…いたた…」
「大丈夫か?」
「はい。肩だし、大丈夫です。」
左肩をさするがボールが当たっただけ。
これくらいよくある。
時穏は「ほら、心配ないです!」と駆け寄って来た黒尾たち部員に笑顔を見せた。
「お前これから角にいろよ。」と黒尾に皮肉っぽく言われ「今のはたまたま見てない間に飛んできたボールに当たっただけです。」と少し落ち込んだ様子を見せる時穏。
そんな彼女の頭を乱暴に、でも優しい顔をして撫でる黒尾。
「冗談だよ。ちゃんと見とけよ。」
「…はい。」
頬をほんのり赤くして嬉しそうに口角を上げた時穏。
夜久はそれを見ると、部員たちと共にコートへ戻っていく。
その様子を見ていた研磨はため息を一つついた。
ドリンクがたくさん入った籠を持ち上げる時穏。
左肩に痛みが走り、顔を強張らせた。
「貸してみ。」
「…夜久先輩。」
タオルで汗を拭いながらそっと隣に来るなり籠を持ち上げる夜久。
ふわっと洗剤の香りがした。
あ、夜久先輩だ。といつもの香りに頬が緩む。
「何ニヤニヤしてんだよ。」
「へへ…夜久先輩の匂いがするなぁと思って…」
そう言うと夜久は眉間に皺を寄せて「変態?」と足を止めた。
「違います!」と全身で否定する時穏を見て、前へ向き直ると「肩、帰ったらちゃんと湿布貼るなり、するんだぞ?」と言う。
夜久の背を見つめながら、「…はい。」と小さく返事をすれば振り返り「榎本に言っとくか?」と悪戯な笑みを見せる。
「嫌です!ちゃんと貼ります!」と言えば夜久は「おう。」と短く返事をし、そのまま歩いて行く。
背中をじっと見つめながら「やっぱり、なんか雰囲気変わった?」と思う時穏。
少し寂しい気持ちになり、「夜久先輩。」と小さく呼ぶ。
「ん?」
振り返るなり左手で汗を拭う夜久。
あぁ、やっぱりカッコいい。といつものように思えば、研磨の言葉が再び脳裏に浮かぶ。
「湿布くさくても抱き着いていいですか?」と問いかける時穏に夜久が「それは構わねぇけどさ…きょう抱き着かれてねぇけど?」と平然と言ってのける。
「え。」と戸惑った時穏を見てニヤリと笑えば「あれ?もしかして黒尾のことばっか考えて、忘れたとか?」と嫌味っぽく言う。
時穏は、そういえばきょう夜久先輩のことばかり考えてたな…なんて思えば、すぐ口に出してしまう。
「きょうは、夜久先輩のことばかり考えてますね。」
その瞬間、夜久は視線を逸らし時穏とは逆へ視線を向ける。
「…先輩?」
「じゃあなんで今日抱き着かなかったんだよ。」
「…。」
言うだけ言って、体育館へ入っていった夜久。
ぽつんと取り残されたように佇む時穏は、手を口へ持っていく。
「おこ…ってた?」
何で?と、時穏は眉間に皺を寄せて唸る。
「時穏。コーチ呼んでる。」
「あっはいっ」
研磨に呼ばれ、走って体育館へ入った時穏はもやもやしていた。
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