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次に隠棲の庵を訪ねる際、自分の心が少しばかり張りつめているのを感じていた。片手に旅行鞄を、片手にプレゼント用の小さい紙袋を提げている。鈴に会ったら、すぐさま手渡すと決めていた。だらだらと機を逃すと、こういうことに慣れていない俺には一生渡せなくなりそうだったからだ。
二人きりになるなり、君に渡したいものがあるんだ、と単刀直入に切り出した。鈴はぱっと弾かれるように面(おもて)を上げたが、その表情には疑問の色が濃い。気持ちが挫けないよう鼓舞しながら、自分が持参するには相当不釣り合いな、薄桃色の小振りな紙袋を鈴に差し出した。
「良かったら、受け取ってもらえないかな」
俺より幾回りも小さく細い指が、おずおずと伸ばされる。その様子には喜びの色はなく、ただただ困惑しているのが伝わってくる。
「これを、わたくしに?」
「ああ」
「今、開けてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
大きく頷いたつもりだったが、力が入りすぎた首がぎしっと軋み、動作はぎこちないものとなった。
鈴の白魚のような手が袋のシールを外し、中から透明な箱を取り出す。そこには、深紅の椿を模した、髪飾りが封じられていた。
雑貨屋でそれを見つけたとき、目が吸い寄せられた。その鮮やかな赤と、鈴のあでやかな黒髪とのコントラストは、さぞかし美しかろうと断言できた。
鈴が両目を見開き、花びらのひとつひとつまでまじまじと見る。
「これは……髪飾り、ですか?」
「ああ。この赤が、君の黒髪に映えると思っ――」
て、という音が喉元で消える。驚きによって、発声できなかったのだ。
鈴の澄んだヘーゼル色の双眸から、ふたすじの涙が白磁の頬を音もなく伝っている。
動揺した。女性の涙を見るのは何年ぶりかの出来事だった。咄嗟に反応できないでいると、ごめんなさいっ、と高く声を放って、鈴が部屋から走り去っていった。
俺は部屋に取り残された。パッケージングされたままの、椿の花と一緒に。
その髪飾りを掬い上げて、うーむと観察する。表面にちりばめられたジルコニアが、きらきらと光を反射している。
「泣くほど気に入らなかったのか……慣れないことはするもんじゃないな……」
一人、そうごちた。
夕飯の時間になっても、鈴は居室から出てこなかった。大方、お主が何か良からぬことをしたのじゃろう、お主が何とかしろ、とシューニャに詰問され、反論の余地なく彼女の元に向かう。もう自分とは顔も合わせたくないのではないか、という苦い思いとともに。
左手には、あの髪飾りを握っていた。気に入ってもらえなかったからといって、放置するわけにもいかない気がしたためだ。
コンコンコン、とドアをノックすると、はい、と弱々しい声が返ってくる。扉に顔を近づけて、できるだけ穏やかに、真摯な口調を心がけて話しかけた。
「俺だ、セルジュだ。さっきはいきなりのことで驚かせてすまなかった。もし君が良ければ、謝らせてくれないかな」
少し待つが、声は返らない。胃の底がずしりと重くなる。落胆して踵(きびす)を返しかけたとき、音もたてずにドアがすっと開いた。
子うさぎが巣穴から外を窺うように、怖々と鈴がこちらを見上げていた。泣き腫らした目は赤く充血し、泣いたためか頬は上気してぽっと朱に染まっている。自分が何か言いかける前に、小さめの口が震えて、どうぞ、と俺を中に導いた。
部屋は小綺麗に片付いていたが、それは整理整頓が行き届いているというよりも、むしろ物が無さすぎるためで、寒々しく殺風景な印象があった。偏見かもしれないが、年頃の娘が好みそうな内装ではない。
部屋の中央のテーブルに腰を落ち着かせて、鈴と相対する。ぐっと腹の底に力を入れ、
「ごめんなさい」
謝ったのは鈴が先だった。
虚を突かれ、え、と間が抜けた声が漏れる。
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