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「あれが笑うところを、わしは初めて見た」
「あれ?」
「あの娘子(むすめご)……鈴のことじゃ。あの娘がここに来てから、もう丸三年は経つ。それなのに、初めてじゃ」
「そうなのか? 笑わない娘だとは、思わなかったが」
「あまり信じたくもないが、お主とあの娘は相性がよいかもしれんのう」
「何なんだ、いきなり……」
「あれは不憫な娘よ」
「え」

 シューニャはそこでベッドからとすんと降り、後ろ手に指を組んで、月明かりが差す窓辺に歩み寄る。
 ちっぽけなはずの背中がいやに大きく見えて、俺は一歩も動けず、また一言も発せなかった。

「あの娘はのう、わしの娘も同然なのじゃ」
「シューニャ?」
「お主には話しておこうと思ってな。鈴の出自について」

 シューニャがこちらに向き直る。白髪がぼんやりと月光に照らされて鈍い輝きを放っていた。その姿は少年だけれど、様々な感情がない交ぜになったその深い眸からは、確かに酸いも甘いも噛み分けた老練さが滲み出ていた。知らず、自分の喉が鳴る。
 そして俺はすべてを聞き遂げた。鈴の、壮絶な身の上について。

「セルジュよ。あの娘を悲しませるなよ。泣かさないと誓え」
「そんな、突然……」
「できんのか?」
「いや――分かった。約束する」
「うむ。確かに聞いたぞ」

 シューニャが冷たい光を目に宿しながら、深々と頷く。


 翌朝、根城を退去するとき、鈴が見送りに出てくれた。少ししか話せなかったのに、彼女の眉は垂れ、寂しそうな目をしていた。昨日シューニャから身の上話を聞いたばかりだったので、何か言わなければいけないと思ったが、何を言えばいいのか分からなかった。他人の心情の機微が察せない仕事人間は、こういう時に困る。
 心のどこかで特別な感情が湧いてくるのを自覚したけれど、彼女とは十歳違いらしいので、きっとこれは妹に向けるような親愛の情に違いなかった。
 結局、当たり障りのない台詞で口火を切った。

「わざわざ見送りに来てくれてありがとう」
「いえ……あの、お話しできて、楽しかったです。その――」
「うん?」
「あの――また、こちらにお見えになりますか」
「ああ。いつになるかは分からないけれど、また来るよ。あの爺さん、甘いものが食べられないと癇癪を起こすからな」
「そんな、……またお会いできる日を、楽しみにしています」
「……ああ、ありがとう」

 ほほえむと、ぎこちないながら鈴も笑みを返してくれた。
 話せて楽しかった。また会えるのを楽しみにしている。そんなことを言われたのは初めてだった。つい、手を伸ばして彼女の頭を撫でたい衝動に駆られたが、すんでのところで思い止まる。
 じゃあ、と遂に立ち去るまで、鈴はじっとこちらを見つめ続けていた。その双眸に熱いものを感じてしまい、気のせいだ、本当にどうかしている、と考えを振り払った。

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