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「163」

 私の手首から一度脈拍計を取った諒くんが、液晶を操作して事務的な声で数字を読み上げた。
 この三時間での最大脈拍数。
 それが言わば、先生の得点。諒くんがこの数を上回れなければ、桐原先生の勝ちとなる。
 よし、平常心、平常心よ。何があろうと、落ち着いて対処するのよ、麗衣!

「じゃ、また三時間後に、ここで。いなくなってたら、俺の勝ちにするからな」
「心配しなくても、私は逃げんよ」

 そう諒くんに返す先生は、何事もなかったかのように平生(へいぜい)と同じ顔つきだった。
 入場チケットを買う列に並び、遊園地のゲートをくぐったところで、諒くんにいきなり腰を抱き寄せられた。背中がぞわっとなる。最初から飛ばしすぎ!
  抗議の声をあげると、諒くんは平然と何? 肩の方がいい? などと訊いてくる。完全に私の反応を楽しんでいる。うう、小悪魔め。

「そういうのが問題なんじゃなくて……!」
「はは。怒った顔も可愛いな、麗衣は」

 諒くんは目元を緩め、純粋な少年のように笑った。元々がアイドルっぽい甘い顔立ちのため、くしゃっと微笑む姿はまるで天使だ。悪魔なのか天使なのか分からない。何そのギャップ、ずるい。

「麗衣とデートできるなんて、夢みたい。本当に嬉しいよ」

 そう、心底喜ばしそうに言うので、私はそれ以上怒れなかった。
 この遊園地には何度か来たことがあるが、数年前の全面リニューアル以降、入園したことはなかった。寂しい話だが来る機会がなかったのだ。以前と比べ絶叫系のアトラクションはよりスリルを増し、ホラー系のアトラクションが新設されたらしい。私は絶叫系は好きだけれど、ホラー系はごめん被りたいなと、意気揚々と闊歩する諒くんの隣で考えた。
 ほとんどのアトラクションに長い列ができていた。
 そこに並ぶ前にポップコーンを購入し、待機列の最後部に連なる。キャラメルポップコーンの匂いは、遊園地の気分を高めてくれる。その香ばしい匂いを嗅ぎ、頭上から降ってくる歓声と悲鳴に耳を傾け、二人の空白の6年に思いを馳せた。
 諒くんと初めて会った日の印象は"怖い"の一言だった。当時の諒くんは、髪をブリーチした上に一部を深紅に染めていて、両耳合わせたピアスの穴は数知れず、まともに制服も着ていなかった。いわゆる、不良だったのだろう。でもなぜか学校にはちゃんと毎日来てくれていた。
 そして私の実習最終日、私は、いやそのクラスの誰しもが、登校してきた諒くんを見て唖然とした。
 彼は髪を黒く染め直し、ピアスも一つも着けず、きちんと規則通りに制服を着ていた。ただし猛犬にも似た、刺々しい雰囲気だけは変わっていなかった。きちんとした格好をすればアイドルみたいなのに、と思ったけれど、彼の体からなんか文句あっか、と言わんばかりの空気が立ち上っていたため、声をかけられる人は一人もいなかった。そして、私の最後の模擬授業のあと、教壇につかつかと近づいてきた諒くんは、俺も教師になるから、と宣言したのだった。私はじーんとして泣く寸前だった。
 まあ、その感動も、その日の放課後に彼に呼び出され、告白されたことで吹っ飛んでしまったわけだけれど。
 あの時私に向かって目標を告げた高校生が、6年の月日を経て、自分と同じ教師としてここにいる。そう考えると感慨深かった。

「諒くんはすごいね、教師になるって夢を叶えたんだから。高校生の時から先生になりたいって言ってたもんね」

 話題を振ると、なぜか諒くんはむすっとした顔になる。そして、首を横に振った。

「違う」
「え……?」
「麗衣はずっと、俺が教師になるって目標を持ってたと思ってるかもしれないけど、あの頃、俺に夢なんてなかった。大学行って、好きなことしてたら、何か見つかるかななんて、漠然と考えてただけだ。教師になりたいって思ったのは、麗衣に会ってからのことだよ」

 そんな。私は二の句も継げず、諒くんの顔をまじまじと見つめた。諒くんも、顔をこちらに向けて、じっと私の目を覗きこんだ。

「俺は麗衣に会ったから、教師になろうと思ったんだよ」

 し、知らなかった。彼がそんな切実な思いでいたなんて。
 彼の手が私の手をぎゅっと包み込む。心の中の炎が表面に出ているかのような、とても熱い手だった。

「分かる? 俺、それくらい本気だから」
「諒くん……」
「俺、麗衣を思う気持ちじゃ、あの人に絶対負けてないと思う」

 諒くんは鼻息荒く語気を強める。
 うん、そりゃまあ……という返答は胸にしまう。桐原先生は私を、ただの同僚としか見ていない、それは事実だ。何せ彼は自分を代役だと思ってるのだから、なんて暴露はできないが。

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