(2/10)□□
 翌日はもう金曜日だった。約束の日は明日に迫っている。いや、約束はしてないけど。ただ押しつけられただけだけど。
 思えば諒くんは出会ったときから強引だった。敬語も遣わないし、前に告白してきたときも、私が断るなんて考えてもみなかった様子だった。今回だって、休日に私の予定が入ってるとか考えないの? まあ、入ってなかったけど……。いや、問題はそこじゃない。
 詰めてきたお弁当を前に、思わず溜め息が漏れてしまう。頭の中がぐるぐるして、食欲が湧かなかった。明日もしドタキャンしたところで、私の居場所は割れているし、付きまといにも遭いかねない。かといって、これから桐原先生に好きだと告白し、明日の勝負に付き合って下さいと言うのも現実的じゃない。

「桐原先生! 最初に会ったときから好きでした! なので、明日私を好きだという相手と勝負して勝って下さい!」

 頭を抱える。駄目だ、さっぱり意味が分からない。そんなんでオーケーする人がどこにいるんだ。いたとしたらその人の心は、マリアナ海溝よりもずっとずっと深いに違いない。
 どうしようどうしよう、と堂々巡りの思考に嵌まっているとき。

「どうかされたんですか」

 隣から気遣わしげな声がかけられた。見なくても分かる。桐原先生だ。ぎこちない動作でそちらを見ると、彼の真摯な瞳がじっとこちらに向けられていた。
 はあ……かっこいい……とこんなときでも感嘆できる自分に呆れる。私は、何でもないです、という言葉を咄嗟に飲み込んだ。

「あの……ちょっと面倒なお話があるんですけど、聞いてもらってもいいですか……?」

 桐原先生は何も言わぬまま、すぐにこくりと顎を引いた。


 桐原先生と連れだって、屋外へ出る。園庭の縁(へり)に腰かけて、お弁当を広げ直した。陽射しはまだきついが、風には涼しさが混ざり、秋の気配を連れてきてくれる。薄青の空には刷毛で塗ったような筋雲がいくつも浮かんでいた。気持ちのいい、秋晴れだ。
 私は、昨日の出来事をかいつまんで桐原先生に話した。もちろん、私が好きな相手が当の桐原先生だということは伏せたまま。

「それはなかなか厄介ですねえ」

 さすがの彼も、苦慮するように何度も顎を撫でている。
 当然の反応だった。相談したところで、何も解決しないのは目に見えていたのだ。この問題で、余計に悩む人を増やしただけではないか。ああ私の馬鹿、先生を困らせてどうするんだ。それでなくても普段から迷惑ばかりかけているのに。

「ですよね……本当に、どうしたらいいか……」
「その、水城先生の意中の男性に、協力を要請するわけにはいかないんですか?」

 その質問は、先生にしてみれば素朴なものだったろう。
 それがあなたのことなんですよねー!
 とは、到底言えない。がっくりと項垂れて答える。
 
「ちょっと、難しいと思います……」
「そうですか……。その勝負の内容は、彼から聞いていますか」
「いえ、そういえば聞いてませんでした……」
「うーん、乱暴事でなければいいのですが」
「そうですね……」
「ひとつお聞きしたいのですが、その彼は、私が勝負して勝てそうな相手ですか」
「は……えっ?」

 え? 今、なんと?
 ばっと顔を上げる。先生は、いつもと同じ穏やかな無表情で、私のことを見ていた。深い黒を湛えた瞳に射抜かれて、たちまち顔が熱くなった。

「どうでしょう。勝てそうですか」

 桐原先生が重ねて尋ねる。まさか。そんな。嘘でしょ。
 もしかして、諒くんとの勝負に、名乗りを上げてくれる、というのだろうか。

「私で良ければ、代役になりますよ。水城先生がお嫌でなければ、ですが」

 ええー!
 信じがたい言葉をかけられ、思考全体が混乱を来(きた)す。嫌なわけがない。むしろこれ幸い、願ったり叶ったり、渡りに舟、といったところだ。
 私はぶんぶんとものすごい勢いで首を縦に振った。

「勝てます勝てます、全然、まったく、嫌じゃないです。むしろ嬉し……助かりますっ」
「それは良かった」

 先生が優しげにほんのり笑う。ああ、どうしよう。こんなことをされて、そんな顔をされたら、蕩(とろ)けてしまいそうだ。
 けれど、といくらか冷静になって内心で首をひねる。彼はなぜ、こんな厄介事を引き受けてくれるというのだろう。いつも迷惑をかけるばかりの私相手に。

「でも、どうしてこんな面倒なこと……私、先生に頼ってばかりなのに」

 すると彼は、小首を傾げて不思議そうな顔をした。

「水城先生がお困りのことで、私が解決できることがあるなら、いくらでも手を貸しますよ。それに、私の方こそ、あなたにお世話になっていますから」
「え……」

 ぽかんとして、日本人にしては彫りの深い彼の顔を見上げる。私がいつ、彼のお世話をしたというのだろう。まったく心当たりがない。
 私の顔つきがそれほど可笑しかったのか、彼は口元に手をやって、こみ上げてくる笑いを押さえた。

「それではまあ、そういうことで。明日の朝、車でお迎えに上がります。水城先生のおうちの近くに公園がありましたよね。あそこの入り口あたりに停めますね」
「え、あ、はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ」

 慌ててぺこりと礼をすると、先生も律儀に頭を下げた。
 あれよあれよと決まった物事が信じられない。昼休みがあと5分だと告げる予鈴がそこで鳴り、私は焦って味気ないお弁当を掻きこんだ。

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