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 着席したドミトリーさんがタブレット端末を取りだし、レコーダーアプリを起動させて、さて、と切り出すまで、ヴェルナーさんはその様子をつまらなそうに眺めていた。
 円形のテーブルには一定の間隔でセルジュさん、ドミトリーさん、僕、ヴェルナーさんが座り、空間の割に人数が少ないため、少々間が寂しい。
 ヴェルナーさんは椅子の背もたれにこれでもかと寄りかかり、テーブルからかなり離れたところで、組んだ長い足を前方へ投げ出している。どう見ても、この打ち合わせに真摯に取り組む姿勢など持ち合わせていない、と丸わかりな態度だ。
 ドミトリーさんの冷たく光る双眸がヴェルナーさんに注がれる。

「ではもう一度、ヴェルナー君の口から撃った状況について説明してもらえますか」
「だーかーら、"罪"の奴が怪しい動きをしてるのを見つけたの。んで、事が大きくなるのを防ぐために、善かれと思ってそいつを撃ったの。諜報部(てめえのとこ)がそいつを泳がせてるなんて知らなかったの。以上」

 さあこれで俺の役目は終わったとばかり、ヴェルナーさんは首の後ろで手を組んで瞑目した。ドミトリーさんは小さくため息を吐く。セルジュさんは絵に描いたような苦笑いだ。

「ヴェルナー君。君が射殺した人物は、"罪"の上層部と繋がっている可能性が非常に高かったのです。そして、彼が上層部と接触を持ち、僕らが尻尾を掴むまであと一歩だった。君にはその事実を理解し、君がした行為の重さを知ってほしかったのです。だから今日ここに君を呼びました。今さら言っても仕方ないことではありますが」
「あっそ。仕方ねえんならわざわざ言うな。時間の無駄だろうが」
「まだ分かってもらえていないようですね。君には思慮深さが足りていないと言っているんです。相手をどう扱うか、様々な状況を考慮する必要があるでしょう」
「――自由に言わせときゃ勝手抜かしやがって、知らねぇことをどうやって考慮しろっつうんだよ。だったら情報をよこせよ、情報を!」

 ヴェルナーさんが吠える。会議室全体の空気がびりびりと震えた。
 ドミトリーさんの言は確かに正論だが、ヴェルナーさんの反論にも一理ある。知らないことは分からない。しかしそんなに怒鳴り散らすほどのことだろうか。
 ヴェルナーさんがこれほど怒りを露にするところを、僕は見た記憶がなかった。いつも僕が小言をぶつくさ言ったり、他人の前でヴェルナーさんを馬鹿にするような台詞を吐いても、へらへらと締まりのない笑みを浮かべて受け流しているのに。
 それは、僕が特別なのだろうか。
 それとも、ドミトリーさんが特別なのだろうか。
 そう考え事をしている間にも、二人の言い合いはヒートアップし続ける。もはや、周りなど見えなくなっているに違いない。
 渋味のある表情をしたセルジュさんが、落ち着け悪ガキども、と割って入ったのはしばらくしてからだった。

「二人とも少し落ち着け。今は自分の意見の押し付け合いをする時間じゃない」
「悪ガキって……僕もですか」
「ああ、そうだ」
「やーい悪ガキやーい」
「ヴェル、ちょっと黙ってろ」

 セルジュさんの重々しい声音が、ヴェルナーさんの浮わついた顔面をぴしゃりと叩く。
 僕は感心した。二十代半ばの二人を、"悪ガキ"と表現できてしまえる、セルジュさんのその豪気さに。
 セルジュさんはミーチャ、とドミトリーさんに親称で呼びかける。

「ヴェルの言い分も尤もだと思うぞ。現状、諜報部と執行部は連携がとれていないことが多い。別個に事に当たってばかりいる状況で、互いの立場を考慮して行動しろというのも無理な話だ。諜報部と執行部のパイプをもっと太くする必要があるな。そうすれば、更に仕事が円滑に進むと思わんか? ヴェルの今回のことは気に食わなかったかもしれんが、これも関係を考え直す良いきっかけだと思おう」

 穏やかな口調だ。ヴェルナーさんも牙を収めて、二人の会話の動向を眺めている。ドミトリーさんはつい、と細い指先で眼鏡を押し上げた。

「ええ。あなたの意見に異論はありません。僕としても、部下の成果を潰されるのはもう懲りごりですから」

 すい、と紫の視線が僕の上司相手に移される。ヴェルナーさんは鼻をふんと鳴らし、不快さを隠そうとしなかった。
 ドミトリーさんとセルジュさんが話し込みはじめるのを、僕とヴェルナーさんは取り残されたみたいに眺める。僕はセルジュさんの折衝能力の高さに圧倒されていた。あのドミトリーさんに簡単にイエスと言わせてしまうとは。この人がいればこそ、この組織が成り立っているということだろう。

「それじゃ、今後どうやって連携を緊密にしていくか、細かいところを早急に詰めよう。またお前の負担を増やしてしまうが、大丈夫か?」
「構いません」

 ドミトリーさんが簡潔に放った返答で、この打ち合わせの議題が済んだのが分かった。
 それでは任務遂行時にはくれぐれも気をつけるよう、とドミトリーさんがヴェルナーさんに釘を刺して、会議はお開きとなった。言うまでもないが、ヴェルナーさんはあかんべえをすることでドミトリーさんに応えた。
 まったく、セルジュさんがいてくれて本当に良かった。僕とヴェルナーさん、ドミトリーさんだけだったら、この結論に何事もなく達したかどうか。それどころか、無事に丸く収まったかどうかすら怪しい。血の一筋や二筋、流れていたかも分からない。
 そして帰り際、事は起こる。
 帰途につこうとする僕に、ドミトリーさんが握手をしてきた。今回は両手で、僕の片手を包み込むように。

「ハンス君。いつでも連絡して下さいね。待っていますから」

 紫水晶(アメジスト)に似た、強い光を宿した瞳がまっすぐ僕を見つめていた。
 彼の手の力に気圧される。これまで誰かにこんなにも求められた経験がなかったから、正直僕の心はぐらつきかけていた。
 そして、ずっと苛々を募らせていたのだろうヴェルナーさんの苛立ちを、ドミトリーさんのその言動が爆発させてしまった。
 おい、と鋭く言い咎めながら、ヴェルナーさんが僕らにずかずかと歩み寄ってくる。今度はセルジュさんの制止も間に合わない。道すがらの椅子が勢いよく薙ぎ倒され、カーペットの上で鈍く振動する。
 ヴェルナーさんはあっと思う間もなくドミトリーさんに肉薄すると、その胸ぐらを乱暴に掴みあげた。

「手を離せや、このこそこそ野郎。てめえのやること全部気に入らねえんだよ」

 抑制された、けれど強くドスの効いた声。こめかみには青筋が浮いている。まずい。こうなると僕にはもうヴェルナーさんを止められない。助けを求めてセルジュさんを見やると、彼はなぜか可笑しそうに口元を押さえて体を揺らしていた。
 いや、笑いごとじゃないんですけど。

「本当に二人とも仲がいいなあ」

 聞き間違いでなければ、セルジュさんはそう呟いた。いやいや、どこが? どこをどう見ても一発触発ですけど。
 ヴェルナーさんの空いた方の拳は、力がこもりすぎてわなわなと震え、節が白く浮き出ている。これはちょっと、冗談抜きで危険なんじゃないだろうか。

「ハンスにちょっかい出すんじゃねえ。俺の右手はずっとうずうずしてるんだぜ、てめえの澄ました面(ツラ)をめちゃくちゃにしたくてよォ」
「やれやれ、脅しですか。そうやって暴力をちらつかせば、誰でも言うことを聞くとでも思ってるんですか?君みたいにすぐ手を上げる人間がいるから、執行部は野蛮だって言われるんですよ」
「筋を通せって言ってるんだよ。いいか、ドミトリー。ハンスに二度と関わるんじゃねえ」
「了承しかねます」
「ん……だと、この……ッ」

 激昂したヴェルナーさんが懐に手を突っ込もうとしたところで、ようやくセルジュさんの腕がそれを止めた。さっきの呟きはどうやら皮肉混じりのものであったらしい。

「そこまでだ、ヴェル。仲間うちで争ってどうする」
「うるせえ。俺はこんな奴仲間だなんて認めねえ、反吐が出らァ」
「おや、珍しく意見の一致を見ましたね。僕も君と仲間だなんて願い下げです」
「なんだとこの野郎、表出ろや表!」
「はいはい、喧嘩は止せ! はあ……俺がお前たちを会わせたばっかりにこんな……もうちょっと仲良くしてくれんかなぁ……」

 セルジュさんが無理やり、ヴェルナーさんをドミトリーさんから引き剥がす。
 どこか消沈した様子のセルジュさんが、ドミトリーさんを強引に部屋から連れ出して、打ち合わせは本当にお開きとなった。

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