(1/4)□□
 僕とヴェルナーさんは十年来の付き合いだから、彼のことは大概考えなくても分かる。
 助手席に座るヴェルナーさんの機嫌は最悪だった。


 白いアウディを駆る僕の横で、ぶつぶつ低く呟いたり、舌打ちしたり、貧乏揺すりしたりと忙しない。この車は今、ヴェルナーさんが死ぬほど嫌いな三つのものの組み合わせ――"人間の男"に招集を"指図"された影での"会議の類い"――に向かって、時速100km超のスピードで近づいているのだ。
 なぜ大嫌いな会議にヴェルナーさんは赴いているのか。このけったいなシチュエーションの原因は、影の執行部と諜報部とのあいだで生じた"食い違い"による。
 僕が聞くところによるとこうだ。影の敵対組織である"罪"の上層の人間をおびきだすために、諜報部のエージェントがわざと下っ端を泳がせていた。ヴェルナーさんがそれと知らず、その下っ端を始末してしまったらしい。
 諜報部からの"論議したいことがあるので指定の日時と場所に来られたし"との通達を受け取ったヴェルナーさんは、逆鱗に触れられた竜もかくやとばかりに荒れに荒れた。彼と諜報部の折り合いが悪いのは知れた話で、というのも、諜報部長であるドミトリー・ウリヤノフと我が上司ヴェルナー・シェーンヴォルフは犬猿の仲なのだ。
 名ばかりの上司が起こした事態であるし、僕は無関係を貫くつもりだった。しかし、ヴェルナーさんから"後学のためにお前も来い"とのありがたいお言葉を賜り、こうしてアウディのハンドルを仕方なしに握っている。体よく運転役を押しつけられた格好だ。たぶん今の状態のヴェルナーさんに運転をさせたら、アウトバーンで平気で200kmくらい出してそののち事故死されそうなので、運転するに吝かではない。
 別に心配しているわけではなくて、上司にそんなみっともない死に方をされたら部下の僕だって惨めな思いをするだろうし、それに何より事後処理が厄介そうだからというのが理由だ。とりあえず後で足代を請求しようと算段を練っている。
 諜報部の若きトップ、ドミトリー・ウリヤノフ。僕は彼に一度だけ会ったことがある。向こうは僕など覚えていないだろうが、真面目でいかにも仕事ができそうな人で、いかにもヴェルナーさんが嫌いそうな人だったことを覚えている。
 車はびゅんびゅんとアウトバーンを抜けていく。


 指定があったのは、よくあるオフィスビルのよくある貸し会議室だった。セキュリティは必要最低限の設備しか備わっていない。今回の打ち合わせの議題は、"罪"側に知られても構わない内容ということなのだろう。
 車をビルの駐車場に停め、僕らがロビーに入ると、肩幅のがっしりした長身の男性がつかつかと歩み寄ってきた。ヴェルナーさんがあっと高い声をあげる。

「セルジュじゃねーかよ。なんでお前が出てくるんだ?」

 自分は会ったことのない人だった。ヴェルナーさんはやたらと顔だけは広い。
 男性の年は30歳くらいで、背丈はほとんどヴェルナーさんと同じだけれど、がたいがいいというか、体の厚みがすごい。姿勢が良く、鳶(とび)色の髪を後ろに撫でつけていて、仕立てのいいスーツの上から、朱色の厚手のストールを巻きつけている。そして一番目立つのが、右目をすっかり覆った眼帯だ。僕は自然に海賊を連想する。男っぽい顔の作りも合間ってなかなかの厳つい雰囲気だが、浮かべている笑みは人好きのするものだった。

「ようヴェル、元気にしてたか。なに、今回の話し合いは執行部全体に関わる議題だからな。それに、明言はされていないが、俺にお前との橋渡しをしろということなんだろう」

 含みを持たせた言い方だ。その意味を推し量ろうとしていると、セルジュと呼ばれた男性が僕の方に向き直り、手を差し出してくる。

「やあ、君がハンス君だね? 初めまして。噂には聞いているよ、付き合わせてしまってすまないね」

 大きな、というより巨大な手に若干びびりながら、はあ、と僕はその握手に応じた。

「ええと――」
「ああ、名乗っていなかったな。俺はセルジュ・アントネスク。執行部の舵取り役を務めている。君の上司の上司ってところだ」
「え」

 思わず相手の顔をまじまじと見る。
 舵取り役。執行部の長。
 執行部長といったら、今の影の実質的なトップである。所属部署以外の上層部の顔はあまり知らないが、アントネスクという姓はもちろん知っていた。どうしてそんなお偉いさんがこんなところに出向いているのか。それより、さっきのヴェルナーさんの話しかけ方は、明らかに失礼だったような?

「す、すみません、そんな偉い方だとは知らず――」
「いやあ、立場があるってだけで、俺自身が偉いわけじゃないよ」

 セルジュさんは僕の畏縮を吹き飛ばすように、からからと豪快に笑った。
 朗笑するセルジュさんの前で縮こまっていると、ヴェルナーさんが僕の肩をぽんぽんと叩く。

「そうだぜハンス。立場がある人間ってのはな、偉いわけじゃなくて、みんなの使いっ走りってことなんだぜ」
「確かにそうかもしれんが、お前には言われたくない」

 セルジュさんがヴェルナーさんの頭を小突いた。
 どうやら二人はただの上司と部下でなく、友人としても親しいみたいだ。
 それよりも僕は、セルジュさんの"噂"という言葉が気にかかった。僕の噂とは、十中八九ヴェルナーさんが話したものに違いない。部下が指示に反抗しているだとか、悪口ばかり言っているだとか、そんな話さなくていい事柄を誰彼構わずぺらぺら喋りまくっているのだろう。

「僕の噂って、どんなことを聞いているんですか」
「ん? まあ、ヴェルから聞いた話がすべてなんだがな」

 やっぱり。

「大切な部下がいるとか、部下のためなら何も惜しくないとか、そういう話だ」

 ――ん?
 僕が反応するより先に、ヴェルナーさんが噛みついた。

「おいセルジュお前、口から出任せ言ってんじゃねーよ。んなこといつ俺が言ったよ」
「お前、酒が入るといつも言っているじゃないか」
「余計なことは言わなくていいんだよ馬鹿野郎。ほら、さっさと終わらせてさっさと帰りてえんだ俺は」

 会議室の場所も知らないくせに、ヴェルナーさんはずんずんと先に行ってしまう。
 僕はセルジュさんと顔を見合わせた。セルジュさんが苦笑して軽く肩をすくめる。

「ありゃ照れてるな、珍しく」

back


(C)Spur Spiegel


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -