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 大慌てで予約した割には、いい店だった。
 淡いグレーで統一された店内は落ち着いた雰囲気で、壁にかかった抽象画と、テーブルに飾られた花の色彩が映え、目を楽しませる。室内の居心地のよさを軽やかに演出する、プーランクの器楽曲の調べ。席同士の間隔は大きく取られており、隣の席の会話はほとんど聞こえない。俺たちの会話もそうだろう。
 静かな談笑と、食器がたてる無機質かつどこかあたたかい音。それらが、品のよい調度品で揃えられたフロアに満ちている。
 シャーロットの格好は昼間と異なり、膝丈の濃紺のカクテルドレスだった。
 会議の出席者に用意されたホテルのロビー、そこでの待ち合わせに、シャーロットは華やかに変身して現れた。パンツスーツで上書きされていた彼女の魅力があらわになっていて、目が釘付けになる。日中には半分以上隠れていた、優美な形状の黒いピンヒール。それに踏まれたいなあと思った。

「ロッティちゃん、すごく綺麗だね」
「お世辞はいいわ。それより、ネクタイはあったのね。あなたがネクタイを締めてると、手綱みたいだわ」

 シャーロットが俺のネクタイを軽く引っ張る。
 手綱。その単語が異様に大きく聞こえた。操られるためのもの。俺の手綱はぜひとも、シャーロットに持ってほしい。

「なんだ、調教してくれるのかい」
「そうね、悪い犬には躾が必要ね。もっとも、それは私の役目ではないけど。さあ、早く行きましょう」

 シャーロットはさっさと歩き出した。彼女の一言、一単語が俺の心臓を正確に射抜く。俺の脈拍は走った直後くらい速く、頭は熱病に侵されたみたいにぼーっと熱かった。 

「元気そうで良かったわ」

 洗練された所作で、オードブルを口へ運んでいたシャーロットの言葉に、はっとする。いけない。追想に浸ってぼんやりしてしまっていた。

「ああ、元気も元気だよ、特に」

 下半身が、と言いかけてやめる。つい素が出そうになる。悲しいかな、ネクタイを締めていても、こんな上品な店にいても、俺の内面が上品になるわけではないのだ。むしろ、この場にいることへのある種の反動で、下世話な文句を使いたくなってくる。これはもう病気みたいなもので、しかもおそらく一生治らないと断言できる。

「君も元気そうで何よりだ」
「ありがとう。ところで、知ってるかしら。私ね、今あなたと同じところの所属なの」
「え」

 思いがけない告白に、目をしばたかせてしまう。シャーロットは俺の反応をうかがうように、こちらをじっと見続けている。
 "影"という組織には、3つの部署がある("パシフィスの火"以前は部隊だったが、のちに名称が改められた)。支援部、諜報部、それから俺のいる執行部だ。
 シャーロットは支援部隊の所属だったはずだが、俺と一緒ということは、今は執行部所属ということか。執行部とは、とどのつまりは相手と直接事を構える部所だ。一番の下衆人の集まりだ。
 支援部から執行部への異動。
 その制度は、あるにはある。だがそれは、滅びた文明の荒廃した遺跡よろしく、ひっそりと規律のなかに打ち捨てられているものにすぎない。異動認可のための試験は、身体能力やら戦闘技術やらの基準がやたらと厳しく、幼少から訓練を受けた者でないと、クリアするのがほとんど不可能なのだ。
 それを、シャーロットはパスした。
 軽い目眩に襲われる。どれほど努力したのだろう。どれほど苦労したのだろう。あの、男を前にしただけで狼狽えていた、線の細い女の子が。

「――頑張ったんだね」
「今も、頑張っている途中よ」

 辛さなど微塵も感じさせない、彫像めいたほほえみ。仮面の上から張りつけた、作り物の笑顔。
 不意に、周りの状況なんかぜんぶ無視して、澄ました形の椅子なんか蹴り倒して、彼女をぎゅっと抱きしめたい衝動に駆られた。
 けれど、なけなしの理性が俺を座面に縫いつけて、ワイングラスをすっと持ち上げさせるにとどめる。

「そっか……つまり、君もろくでもない連中の一員ってやけだ。ようこそ、人でなしの集まりへ」
「ありがとう」

 乾杯は既に済んでしまっていたけれど、シャーロットもグラスを掲げてくれ、二人揃って赤い液体を口に含む。
 ああ、渋いな。すごく渋い。

「ねえ、どうして部署変えなんてことをしたのか分かる」

 今度は試すような視線が向けられる。俺は閉口して、顔の横でひらひらと手を振った。婉曲な表現は嫌いじゃないが、シャーロット相手に腹の探りあいみたいなことはしたくない。

「回りくどいのはやめにしよう。聞きたい話って、ルネのことだろ」
「今の話でよく分かったわね。そうよ」
「俺が話せる内容で、君が聞きたいことなんて、それくらいしか思いつかないからね。君はルネの背中を追いかけて、部署変えをした。そういうことじゃないのかな」

 シャーロットがゆっくりと、噛み締めるように頷く。

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