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 思い出はいつだって優しく、心を傷つける。


 やわらかい陽射しの下で、ルネはいつも笑っていた。
 あれはいつのことだったろう。彼女がそこらに生えているシロツメクサを器用に編んで、花冠を作っていたのは。私の頭に完成した花冠を被せたルネは、いたずらっ子のようにほほえみ、

「お姫様みたいだぞ、錦」

 褒められているのか貶されているのか馬鹿にされているのか分からず、私は盛大に顔をしかめた。それを見て、ルネはあははと高く声を響かせたものだった。
 あの時のルネのいきいきとしたまなざし。名も知らぬ草花に向けられる優しげな視線。私はそのすべてを好もしく思っていた。

 またある時。いつも同じ味の食べ物ばかりで飽きる、と嘆く隊員に対し、私がベリーソースを作ってやったことがあった。
 茂みに分け入り、自生している木イチゴを探す。それを少々の砂糖とともに鍋で煮詰めれば、簡易的なソースのできあがりだ。ベリー系は意外に肉と相性がいい。缶詰の肉に飽き飽きしてしていた隊員たちに、それは思いの外好評だった。
 ルネが私に笑いかける。

「君は料理が得意なんだな」
「こんなもの、料理とも呼べんだろう。ただ潰して煮詰めただけだ」
「私にしてみれば、立派な料理さ。美味かったよ、ありがとう」

 礼を言われるのに慣れていなかった私は、そのこそばゆさに狼狽した。あの時、朗らかに笑む彼女から逸らした自分の顔は、明らかに朱に染まっていたに違いない。


 そして今。
 冷たい石造りの部屋の中央、置かれた大きな木箱の中に、彼女は静かに横たわっている。その身を、詰められた小さな野草の花々に、半ば埋もれさせるようにして。
 何の物音もしなかった。私も、傍らに立つヴェルナーも、一様に項垂(うなだ)れて、ルネの顔をじっと見つめていた。穏やかに眠っていて、口もとには微笑さえ浮いているように見える、彼女の整ったかんばせを。
 ルネと、私と、ヴェルナー。
 この部屋には三人きりだ。

「ヴェル。……少し二人にしてくれないか」
「……ああ。気が利かなくて悪かったな」

 鼻をすすりながら、赤髪の青年が部屋を出ていく。
 硬い靴音が遠ざかっていくのを聞きながら、私はルネの横に跪いた。何も変わっていない。長く繊細な睫毛も、ほんのり色づいた唇も、細かい産毛で光る頬も。今に瞼が震え、そのあわいから青く美しい瞳が覗き、再び私を慈しんでくれる、そう思えてならない。
 静寂が辺りを包んでいた。透明な何者かが息を詰めてこちらを見つめているような、張りつめた静けさだった。
 輝かしい銀髪を2、3度手で櫛く。私はルネに顔を寄せた。
 彼女との最後の口づけは、寒々しい死の味がした。


 終焉の日の朝のことはよく思い出せない。きっと何の変哲もない、いつも通りの穏やかな幕開けだったのではないかと思う。
 それは彼(か)の国で、ふたつの高層ビルにジェット機が突っ込んだあの日も、夜明けの空気は清々しかったに違いないのと一緒で。
 なぜあのような事態が起こったのか、幾年かの時間を経ても経緯は謎に包まれたままだ。シューニャが起居する白亜の御殿には、一級予見士が何人も常駐していた。彼彼女らは異変を察知していなかったというが、真相はもはや分からない。すべては彼岸という手の届きようがない地平へ、葬り去られてしまったから。
 唯一の証人である影のボス――シューニャも、分からないとだけ述べ、あとは口を閉ざした。パシフィスの火最大の事件はいまだに未解決のまま、海底に眠る沈没船のように、皆の心に凝り固まって、重く居座り続けている。
 私はルネとの永遠を夢見ていた。人目を忍んで結び続けた男女の関係。思えば儚い逢瀬の日々。あの短い期間、私は確かに幸せだった。どこまでもあたたかな花畑が広がっているようで、何をも恐れる必要などないと思えた。なまじ幸福を味わうことが、後にどれだけの後悔を生むことになるのかなど、微塵も考えていなかったのだ。あの生活がいつまでも続くと、ちらと疑うことすらしなかった。
 それこそが慢心だった。

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